大阪市中央公会堂見学会 大集会室

大阪市中央公会堂の見学会に行ってきました!

中央公会堂は広く一般に貸し出されているので、
利用促進のための見学会が年に数回開催されています。
前から機会をねらっていたのですが、2007年は電話連絡だったので、
申し込んだ時点ですでに定員オーバーで締め切り。
2008年は大阪市中央公会堂開館90周年記念事業の一環として、
1日3回、各回100名の見学会が開催され、往復はがきで申し込み。
私は1回目と2回目に申し込んだんですが、こちらも抽選にはずれ、
比較的余裕がある3回目に追加申し込みをして、やっと参加証をゲットしました。

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ライトアップされた中央公会堂。
(中央公会堂の歴史についてはこちらをご覧ください。)
3回目の見学会は19時30分から1時間。
最初に大集会室で簡単な挨拶や説明があり、
各部屋に移動してガイドを聞いて撮影タイム、
という感じで進行しました。

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大集会室
1階にある大集会室。
講演会やクラシックコンサートに使われているそうで、
ガガーリン、ヘレン・ケラー、ゴルバチョフの講演も行なわれたことがあるとか。
みんな歴史的人物だけど、メンバーばらばらですな。

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2階にも客席。収容人数1161名。

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見どころのひとつ天井のシャンデリア。

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シャンデリアアップ。
創建時の資料をもとにデザインを復元しているそうです。

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天井のディティールも素敵。

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舞台中央に飾られた蘭陵王の面。
古代中国北斉の王、長恭があまりにも美しくて、
味方の兵士たちが見とれて戦意を喪失してしまうので、
恐い面をかぶって戦に臨んだという逸話が元になってる。
(なんだその腐な設定)

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舞台の周りは金箔。柱の彫刻はすずらん。
言われないとわかんないですね。

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柱頭飾りも凝ってます。

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1階から2階へと続く階段にあった窓。
外側から見たデザインと呼応してる感じがよい。

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こちらも階段にあったランプ。かわいい。

小集会室に続く。

大阪市中央公会堂見学会 小集会室

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小集会室

収容人数 150名
もともと食堂だったので今でも食事会などに使われているとか。

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この部屋の見どころのひとつである緑のタペストリー。

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扉。

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扉アップ。リボン?

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柱には“みおつくし”モチーフが。

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ステンドグラス。

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ステンドグラスアップ。
女性用食堂として使われていたことから、果物がモチーフになっている。

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カーテンのドレープ感も豪華。

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窓下の作りも凝ってます。

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天井のライト周り。

中集会室につづく

大阪市中央公会堂見学会 中集会室

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中集会室
収容人数 500名

天井がアーチ状になっているため、音の響きが良く、
クラシックコンサートなどに使用されている。
かつてはダンスホール的な部屋だったらしく、空間自体が美しい。
そしてあちこちにある食べ物の彫刻や鳥の絵、ステンドグラスが楽しい。

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ビューティフルな天井!

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天井アップ

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扉の上の丸型にはたけのこ。
創建時は男性用食堂として利用されていたとか。
さらにアーチの丸型には鳥のモチーフ。

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ライトの飾りが素敵です。

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たけのこアップ。

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こちらは葡萄。

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こっちはカニ!

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ステンドグラスには船のモチーフ。

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カーテンの間にも……

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こんな素敵な飾り(?)が。

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部屋の四隅には、丑寅(東北)・辰巳(東南)・未申(西南)・戌亥(西北)と
方角を表わすブロンズの排気口。
部分的に欠けたり、まったく残っていなかったりで、
ちゃんとわかるのはこの丑寅のみ。

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ホールをとりまく回廊。

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床は寄せ木ばり。
一部、創建当時の床が使われていて、ガラスで保護されている。

特別室に続く

大阪市中央公会堂見学会 特別室

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特別室
収容人数 32名

大阪市中央公会堂といえば、この部屋。
写真では何度か見たことがあるんですが、
天井画の迫力に圧倒されます。

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日本書紀から「天地開闢」が描かれている。
作者は松岡壽。
「伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)が国づくりのため、
天つ神より天の瓊矛(ぬほこ)を授かる瞬間を劇的に描いています。」
ここより引用。天井画の下絵や岡田信一郎の図案も掲載されています。)
西洋の天井画だったら聖書なのでしょうが、日本書記ってとこが斬新。

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北側の壁画。
中央の人物は商売の神、素戔嗚尊(スサノオノミコト)。

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南側の壁画。
中央の人物は工業の神、太玉命(フトタマノミコト)。

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サイドにも絵が。

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天井画の半円部分の模様。

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ステンドグラスには鳳凰と大阪市の市標みおつくし。

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外から見るとこんな感じ。

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扉の象嵌も見どころのひとつ。

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大阪市中央公会堂のすごいところは、
使用料を払えば、これらの施設が利用できるということ。
この特別室は2万3800円から利用が可能。
詳しくはこちら

旧東京貯蓄銀行(旧日本短資)大阪支店

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旧東京貯蓄銀行(旧日本短資)大阪支店
1920年(大正9年)
施工:清水組
2007年4月解体

生駒ビルヂングの角を曲がったあたりにあった近代建築。
見つけたときは名前もわからなかったのですが、
その上品なたたずまいにひかれました。

帰ってから調べましたが、引っかかるのは
私と同じ近代建築好きのサイトばかり(笑)。
東京貯蓄銀行の建物として建てられ、その後、
日本短資(現在のセントラル短資)の大阪支店として使用。
現在では空家状態が続いている、ということ以上はわかりませんでした。
(ちなみに、東京貯蓄銀行は1945年、合併して日本貯蓄銀行に。
日本貯蓄銀行→協和銀行→協和埼玉銀行→あさひ銀行→りそな銀行と変遷)
空家状態が気になっていたところ、2007年4月に解体されたそうです。あぁ……。

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正面入口の名前も読めず。

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この界隈だけ時が止まったみたいな雰囲気だったのに……。

生駒ビルヂング

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生駒ビルヂング
1930年(昭和5年)
設計:宗建築事務所 宗兵蔵
(原案:大倉三郎 実施設計:脇永一雄とも言われる)
施工:大林組
登録有形文化財、大阪市指定景観形成物

スクラッチタイルとテラコッタを活用したアールデコ調のビル。
屋上の時計塔と出窓(3~5階)丸窓(2階)が、
巨大な振り子時計のデザインとなっている。

1870年(明治3年)、高麗橋5丁目(現在の御堂筋淀屋橋)に
大阪屋権七が「大権堂・生駒商店」を創業。
昭和初期の御堂筋・淀屋橋筋の拡張に伴って現在地に移転。
1930年(昭和5年)、総工費15万円をかけ生駒ビルヂングを建設。
昭和20年3月の大阪大空襲により、周辺は焼野原となったが、
堅牢なコンクリート壁と各開口部の防火扉によって戦災を免れた。
1982年、保守が困難になったことから、エレベーターを入れ替え。
1983年、外壁のテラコッタの一部が落下したことを契機に、
外壁剥離防止及び鉄製窓枠を全てアルミサッシに替える大改修を行なう。
1995年、阪神大震災の際も、直径6寸5分の松丸太を493本基礎杭として
打ち込んだ工法のためか、ほとんど被害がなかった。
1997年、文化庁の登録有形文化財に指定。
生駒時計店より引用。)

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生駒時計店のサイトを見ても、何度も補修工事を行ない、
ていねいに使われてきたという印象のある生駒ビルヂングですが、
私が訪ねたときはすでに生駒時計店ではありませんでした。
ドアマンがいるので、写真もちょっと撮りづらい雰囲気。
1階は美容院か何かかと思っていたら、『CENTRAL BANCO』という
イタリアンバールだそうです。

建物を残したいというオーナーの意向により、
2002年9月に28室のスモールオフィスに改装。
現在は、「コンシェルジュオフィス北浜T4B」として活用されている。
日本都市計画学会 関西支部だより 2003年1月号を参照。)

上記の「日本都市計画学会 関西支部だより」によると、
ここで使われているのはSPCという仕組みだそうで、
SPCがいまひとつ理解できないんですが、
要は建物のオーナーはそのままで、建物を不動産として貸し出し、
その賃料で補修工事などの費用をまかなうというものらしいです。
(おおざっぱな理解なので、多少まちがってるかも)
生駒ビルヂングに生駒時計店がないのは寂しいですが、
近代建築を残して有効活用するための方法としてはアリだと思います。

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わかりにくいですが、タイルや変な彫刻がいい感じです。

大阪証券取引所

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大阪証券取引所ビル
2004年11月
設計:三菱地所設計、日建設計
施工:大林組・竹中工務店・大成建設・銭高組共同企業体
地上24階、地下2階

「大阪証券ビル老朽化と、立会場機能が不要となったことから、
事務所・商業を誘致する多機能複合ビルへ建て替え。
旧証券ビルは、交差点に面して「ドーム」を有するその特徴的な外観は、
各所から保存に対する要望が高く、「ドーム面外壁の現物保存」、
「ドーム内部広間(証券プラザ)と外観両袖の再現保存」、
「低層部軒高、ボリュームの再現」を行なっていることが特徴。」
『大阪証券取引所ビル概要』より

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正面の銅像は五代友厚。
「大阪証券取引所の前身である大阪株式取引所の発起人となり,
大阪造幣寮(現・造幣局)、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)の設立に尽力、
渋沢栄一と並び,「東の渋沢,西の五代」と称される人物」だそうです。
『大阪証券取引所』のサイト参照

元の大阪証券取引所は、住友工作部の中心だった
長谷部鋭吉と竹腰健三が設立した長谷部竹腰建築事務所の第1作で、
1935年(昭和10年)、市場館として落成。

「取引所理事長の浜崎定吉が元住友銀行営業部長で、
かねてより健造とは懇意にしていたために、工作部時代に受注。
それを知った渡辺節や置塩章らが「住友の建築部門が住友以外の仕事をして、
市井の建築事務所の業務を圧迫するのはやめてもらいたい」と抗議。
結局、健造は「今さら断ったのではかえって不信を招く」と計画を続行、
この一件も独立の気運を高めた。」
「こうして完成した大阪証券取引所は、正面の円塔が盛況祈願の小判、
4階事務室が末広がりの扇、6階の大会議室は打出の小槌をかたどっており、
縁起をかついだ設計になっています。」
『長谷部竹腰建築事務所 作品』より

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大阪証券取引所の向かいにある難波橋(なにわばし)。

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ライオンくん。天岡均一作。
狛犬として立てられてるので阿像と吽像があり、これは阿像。

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北浜レトロビルヂング(旧桂隆産業ビル)

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北浜レトロビルヂング(旧桂隆産業ビル)
1912年(明治45年)
施工:大林組
国登録有形文化財
1997年改修(施工:シンコウ産業株式会社)

証券売買商の商館として建設。
戦後は、建築資材の商社、桂隆産業本社事務所となる。
1997年、現在のオーナーによって保存改修工事が行われ、
現在は紅茶専門店『北浜レトロ』として営業中。

工事の記録写真がここに掲載。

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今では両側を高層ビルにはさまれて狭苦しそうですが、
数年前までは向かって左隣に西田三郎商店があり、
レトロ建築3棟が並び、かつての面影を残していました。
1999年、西田三郎商店が、グローバリーに吸収合併され、
2001年、建物が解体。
(グローバリー自体も商品取引所法違反などにより2005年廃業。)

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「DIEV ET MON DROIT」と読めます。
(「Diev(Dieu) Et Mon Droit」とはフランス語で、「God and my right(神と我が正義)」
イングランド王室のモットーとして紋章に記されている。)
改修後に取り付けられたものだと思われますが、
英国式ティールームとしてのこだわりが感じられます。

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扉の上の花のモチーフも素敵。
一度、ゆっくりお茶してみたいのですが、いつも満席。

三井住友銀行大阪中央支店

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三井住友銀行大阪中央支店(旧三井銀行大阪支店)
1936年(昭和11年)
設計:曾禰中條建築事務所
施工:竹中工務店

「古典主義建築のお手本のような存在。
外観はイオニア式でまとめられ、軒回りの処理、
開口部のペディメント、メダイヨンなどの意匠も正統的。
内部は典雅なコリント式で彩られる。
曾禰中條建築事務所の最後の作品である。」
「大阪の近代建築」より。

曾禰中條建築事務所は、辰野金吾、片山東熊の同期、
工部大学校の第一期生、曽禰達蔵が
三菱を退社後、後輩、中條精一郎と開設。
小笠原伯爵邸や慶応義塾大学図書館などを手がけていますが、
この建物が竣工した1936年、中條が死去。翌年、曽禰も死去、
その後、事務所もなくなっています。

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正面には4本のオーダーが整然と並ぶ。

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紋章はギリシアの神ヘルメスの杖「ケリュケイオン」。
翼と杖に巻きつくヘビが描かれている。
商業の紋章として使われているらしく、和光のレリーフにも似たようなのがあります。

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迫力のあるイオニア式オーダー。

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彫りの深い24本のフルーティング(溝彫)がイオニア式の標準だそうです。

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一方、側面は同じイオニア式オーダーでもすっきりしている。


高麗橋野村ビルディング

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高麗橋野村ビルディング
1927年(昭和2年)
設計:安井武雄建築事務所
施工:大林組

大阪の中心軸はかつては御堂筋ではなく、堺筋だったそうで、
今でも近代建築が堺筋沿いにいくつも並んでいます。
高麗橋野村ビルディングを設計した安井武雄は、
3年後の1930年(昭和5年)に東京・日本橋の野村証券本店も設計してますね。
どちらも一風変わったデザイン。

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7階は後から増築された部分。
1階にはサン・マルクカフェとリストランテ・アンジェロ。
前はワインバー「高麗橋サロン」、その前は生命保険会社だったそうです。

地下鉄堺筋線のカラーが茶色なのはビルディングの色からとったとか、
エレベーターホールには十二支の方位盤があるとか。

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玄関には月と竹のイスラム風装飾。
軒の部分には瓦が使われている。

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「野村合名の地所部が建てた最初の貸ビル。堺筋に面し、間口は広いが奥行は
2スパンしかなく非常に浅い。1階は貸店舗、その上は6階まで貸事務室とする。

全体の造形は表現派的手法による。浅い奥行を補って建物の量感を出すために、
各階間の腰壁は上端を外にせり出して傾斜させた。これはかつてE.メンデルゾーンが
ベルリンの新聞社増築(1923年)で用いたのと同じ手法である。

安井は1923年(大正12)に『ギリシャ古典芸術に関する一考察』という論文を発表し、
動的均整(ダイナミック・シンメトリー)について強い感心を示しているが、
このビルの造形でその理論の実現化を目指したと思われる。

1階と最上階をやや軽くし、2~5階の中層部を水平・垂直の線や面を組み合わせて
量感を高める、均整のとれた動的(ダイナミック)な表現が造形の主軸となっている。

しかしこの建物では、腰壁天端の瓦形タイルや、玄関脇の三日月形の証明を載せた
独立柱など、大胆で人目を引く東洋的装飾がまだ多く見受けられる。これはおそらく
安井武雄が貸ビルというこの建築の性格を意識して行なったデザインであろう。」
「安井武雄 代表作品」より

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