大阪市中央公会堂見学会 大集会室

大阪市中央公会堂の見学会に行ってきました!

中央公会堂は広く一般に貸し出されているので、
利用促進のための見学会が年に数回開催されています。
前から機会をねらっていたのですが、2007年は電話連絡だったので、
申し込んだ時点ですでに定員オーバーで締め切り。
2008年は大阪市中央公会堂開館90周年記念事業の一環として、
1日3回、各回100名の見学会が開催され、往復はがきで申し込み。
私は1回目と2回目に申し込んだんですが、こちらも抽選にはずれ、
比較的余裕がある3回目に追加申し込みをして、やっと参加証をゲットしました。

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ライトアップされた中央公会堂。
(中央公会堂の歴史についてはこちらをご覧ください。)
3回目の見学会は19時30分から1時間。
最初に大集会室で簡単な挨拶や説明があり、
各部屋に移動してガイドを聞いて撮影タイム、
という感じで進行しました。

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大集会室
1階にある大集会室。
講演会やクラシックコンサートに使われているそうで、
ガガーリン、ヘレン・ケラー、ゴルバチョフの講演も行なわれたことがあるとか。
みんな歴史的人物だけど、メンバーばらばらですな。

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2階にも客席。収容人数1161名。

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見どころのひとつ天井のシャンデリア。

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シャンデリアアップ。
創建時の資料をもとにデザインを復元しているそうです。

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天井のディティールも素敵。

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舞台中央に飾られた蘭陵王の面。
古代中国北斉の王、長恭があまりにも美しくて、
味方の兵士たちが見とれて戦意を喪失してしまうので、
恐い面をかぶって戦に臨んだという逸話が元になってる。
(なんだその腐な設定)

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舞台の周りは金箔。柱の彫刻はすずらん。
言われないとわかんないですね。

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柱頭飾りも凝ってます。

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1階から2階へと続く階段にあった窓。
外側から見たデザインと呼応してる感じがよい。

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こちらも階段にあったランプ。かわいい。

小集会室に続く。

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大阪市中央公会堂見学会 小集会室

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小集会室

収容人数 150名
もともと食堂だったので今でも食事会などに使われているとか。

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この部屋の見どころのひとつである緑のタペストリー。

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扉。

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扉アップ。リボン?

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柱には“みおつくし”モチーフが。

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ステンドグラス。

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ステンドグラスアップ。
女性用食堂として使われていたことから、果物がモチーフになっている。

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カーテンのドレープ感も豪華。

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窓下の作りも凝ってます。

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天井のライト周り。

中集会室につづく

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大阪市中央公会堂見学会 中集会室

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中集会室
収容人数 500名

天井がアーチ状になっているため、音の響きが良く、
クラシックコンサートなどに使用されている。
かつてはダンスホール的な部屋だったらしく、空間自体が美しい。
そしてあちこちにある食べ物の彫刻や鳥の絵、ステンドグラスが楽しい。

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ビューティフルな天井!

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天井アップ

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扉の上の丸型にはたけのこ。
創建時は男性用食堂として利用されていたとか。
さらにアーチの丸型には鳥のモチーフ。

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ライトの飾りが素敵です。

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たけのこアップ。

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こちらは葡萄。

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こっちはカニ!

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ステンドグラスには船のモチーフ。

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カーテンの間にも……

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こんな素敵な飾り(?)が。

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部屋の四隅には、丑寅(東北)・辰巳(東南)・未申(西南)・戌亥(西北)と
方角を表わすブロンズの排気口。
部分的に欠けたり、まったく残っていなかったりで、
ちゃんとわかるのはこの丑寅のみ。

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ホールをとりまく回廊。

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床は寄せ木ばり。
一部、創建当時の床が使われていて、ガラスで保護されている。

特別室に続く

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大阪市中央公会堂見学会 特別室

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特別室
収容人数 32名

大阪市中央公会堂といえば、この部屋。
写真では何度か見たことがあるんですが、
天井画の迫力に圧倒されます。

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日本書紀から「天地開闢」が描かれている。
作者は松岡壽。
「伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)が国づくりのため、
天つ神より天の瓊矛(ぬほこ)を授かる瞬間を劇的に描いています。」
ここより引用。天井画の下絵や岡田信一郎の図案も掲載されています。)
西洋の天井画だったら聖書なのでしょうが、日本書記ってとこが斬新。

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北側の壁画。
中央の人物は商売の神、素戔嗚尊(スサノオノミコト)。

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南側の壁画。
中央の人物は工業の神、太玉命(フトタマノミコト)。

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サイドにも絵が。

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天井画の半円部分の模様。

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ステンドグラスには鳳凰と大阪市の市標みおつくし。

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外から見るとこんな感じ。

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扉の象嵌も見どころのひとつ。

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大阪市中央公会堂のすごいところは、
使用料を払えば、これらの施設が利用できるということ。
この特別室は2万3800円から利用が可能。
詳しくはこちら

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旧東京貯蓄銀行(旧日本短資)大阪支店

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旧東京貯蓄銀行(旧日本短資)大阪支店
1920年(大正9年)
施工:清水組
2007年4月解体

生駒ビルヂングの角を曲がったあたりにあった近代建築。
見つけたときは名前もわからなかったのですが、
その上品なたたずまいにひかれました。

帰ってから調べましたが、引っかかるのは
私と同じ近代建築好きのサイトばかり(笑)。
東京貯蓄銀行の建物として建てられ、その後、
日本短資(現在のセントラル短資)の大阪支店として使用。
現在では空家状態が続いている、ということ以上はわかりませんでした。
(ちなみに、東京貯蓄銀行は1945年、合併して日本貯蓄銀行に。
日本貯蓄銀行→協和銀行→協和埼玉銀行→あさひ銀行→りそな銀行と変遷)
空家状態が気になっていたところ、2007年4月に解体されたそうです。あぁ……。

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正面入口の名前も読めず。

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この界隈だけ時が止まったみたいな雰囲気だったのに……。

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生駒ビルヂング

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生駒ビルヂング
1930年(昭和5年)
設計:宗建築事務所 宗兵蔵
(原案:大倉三郎 実施設計:脇永一雄とも言われる)
施工:大林組
登録有形文化財、大阪市指定景観形成物

スクラッチタイルとテラコッタを活用したアールデコ調のビル。
屋上の時計塔と出窓(3~5階)丸窓(2階)が、
巨大な振り子時計のデザインとなっている。

1870年(明治3年)、高麗橋5丁目(現在の御堂筋淀屋橋)に
大阪屋権七が「大権堂・生駒商店」を創業。
昭和初期の御堂筋・淀屋橋筋の拡張に伴って現在地に移転。
1930年(昭和5年)、総工費15万円をかけ生駒ビルヂングを建設。
昭和20年3月の大阪大空襲により、周辺は焼野原となったが、
堅牢なコンクリート壁と各開口部の防火扉によって戦災を免れた。
1982年、保守が困難になったことから、エレベーターを入れ替え。
1983年、外壁のテラコッタの一部が落下したことを契機に、
外壁剥離防止及び鉄製窓枠を全てアルミサッシに替える大改修を行なう。
1995年、阪神大震災の際も、直径6寸5分の松丸太を493本基礎杭として
打ち込んだ工法のためか、ほとんど被害がなかった。
1997年、文化庁の登録有形文化財に指定。
生駒時計店より引用。)

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生駒時計店のサイトを見ても、何度も補修工事を行ない、
ていねいに使われてきたという印象のある生駒ビルヂングですが、
私が訪ねたときはすでに生駒時計店ではありませんでした。
ドアマンがいるので、写真もちょっと撮りづらい雰囲気。
1階は美容院か何かかと思っていたら、『CENTRAL BANCO』という
イタリアンバールだそうです。

建物を残したいというオーナーの意向により、
2002年9月に28室のスモールオフィスに改装。
現在は、「コンシェルジュオフィス北浜T4B」として活用されている。
日本都市計画学会 関西支部だより 2003年1月号を参照。)

上記の「日本都市計画学会 関西支部だより」によると、
ここで使われているのはSPCという仕組みだそうで、
SPCがいまひとつ理解できないんですが、
要は建物のオーナーはそのままで、建物を不動産として貸し出し、
その賃料で補修工事などの費用をまかなうというものらしいです。
(おおざっぱな理解なので、多少まちがってるかも)
生駒ビルヂングに生駒時計店がないのは寂しいですが、
近代建築を残して有効活用するための方法としてはアリだと思います。

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わかりにくいですが、タイルや変な彫刻がいい感じです。

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大阪証券取引所

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大阪証券取引所ビル
2004年11月
設計:三菱地所設計、日建設計
施工:大林組・竹中工務店・大成建設・銭高組共同企業体
地上24階、地下2階

「大阪証券ビル老朽化と、立会場機能が不要となったことから、
事務所・商業を誘致する多機能複合ビルへ建て替え。
旧証券ビルは、交差点に面して「ドーム」を有するその特徴的な外観は、
各所から保存に対する要望が高く、「ドーム面外壁の現物保存」、
「ドーム内部広間(証券プラザ)と外観両袖の再現保存」、
「低層部軒高、ボリュームの再現」を行なっていることが特徴。」
『大阪証券取引所ビル概要』より

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正面の銅像は五代友厚。
「大阪証券取引所の前身である大阪株式取引所の発起人となり,
大阪造幣寮(現・造幣局)、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)の設立に尽力、
渋沢栄一と並び,「東の渋沢,西の五代」と称される人物」だそうです。
『大阪証券取引所』のサイト参照

元の大阪証券取引所は、住友工作部の中心だった
長谷部鋭吉と竹腰健三が設立した長谷部竹腰建築事務所の第1作で、
1935年(昭和10年)、市場館として落成。

「取引所理事長の浜崎定吉が元住友銀行営業部長で、
かねてより健造とは懇意にしていたために、工作部時代に受注。
それを知った渡辺節や置塩章らが「住友の建築部門が住友以外の仕事をして、
市井の建築事務所の業務を圧迫するのはやめてもらいたい」と抗議。
結局、健造は「今さら断ったのではかえって不信を招く」と計画を続行、
この一件も独立の気運を高めた。」
「こうして完成した大阪証券取引所は、正面の円塔が盛況祈願の小判、
4階事務室が末広がりの扇、6階の大会議室は打出の小槌をかたどっており、
縁起をかついだ設計になっています。」
『長谷部竹腰建築事務所 作品』より

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大阪証券取引所の向かいにある難波橋(なにわばし)。

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ライオンくん。天岡均一作。
狛犬として立てられてるので阿像と吽像があり、これは阿像。

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北浜レトロビルヂング(旧桂隆産業ビル)

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北浜レトロビルヂング(旧桂隆産業ビル)
1912年(明治45年)
施工:大林組
国登録有形文化財
1997年改修(施工:シンコウ産業株式会社)

証券売買商の商館として建設。
戦後は、建築資材の商社、桂隆産業本社事務所となる。
1997年、現在のオーナーによって保存改修工事が行われ、
現在は紅茶専門店『北浜レトロ』として営業中。

工事の記録写真がここに掲載。

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今では両側を高層ビルにはさまれて狭苦しそうですが、
数年前までは向かって左隣に西田三郎商店があり、
レトロ建築3棟が並び、かつての面影を残していました。
1999年、西田三郎商店が、グローバリーに吸収合併され、
2001年、建物が解体。
(グローバリー自体も商品取引所法違反などにより2005年廃業。)

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「DIEV ET MON DROIT」と読めます。
(「Diev(Dieu) Et Mon Droit」とはフランス語で、「God and my right(神と我が正義)」
イングランド王室のモットーとして紋章に記されている。)
改修後に取り付けられたものだと思われますが、
英国式ティールームとしてのこだわりが感じられます。

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扉の上の花のモチーフも素敵。
一度、ゆっくりお茶してみたいのですが、いつも満席。

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三井住友銀行大阪中央支店

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三井住友銀行大阪中央支店(旧三井銀行大阪支店)
1936年(昭和11年)
設計:曾禰中條建築事務所
施工:竹中工務店

「古典主義建築のお手本のような存在。
外観はイオニア式でまとめられ、軒回りの処理、
開口部のペディメント、メダイヨンなどの意匠も正統的。
内部は典雅なコリント式で彩られる。
曾禰中條建築事務所の最後の作品である。」
「大阪の近代建築」より。

曾禰中條建築事務所は、辰野金吾、片山東熊の同期、
工部大学校の第一期生、曽禰達蔵が
三菱を退社後、後輩、中條精一郎と開設。
小笠原伯爵邸や慶応義塾大学図書館などを手がけていますが、
この建物が竣工した1936年、中條が死去。翌年、曽禰も死去、
その後、事務所もなくなっています。

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正面には4本のオーダーが整然と並ぶ。

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紋章はギリシアの神ヘルメスの杖「ケリュケイオン」。
翼と杖に巻きつくヘビが描かれている。
商業の紋章として使われているらしく、和光のレリーフにも似たようなのがあります。

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迫力のあるイオニア式オーダー。

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彫りの深い24本のフルーティング(溝彫)がイオニア式の標準だそうです。

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一方、側面は同じイオニア式オーダーでもすっきりしている。


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高麗橋野村ビルディング

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高麗橋野村ビルディング
1927年(昭和2年)
設計:安井武雄建築事務所
施工:大林組

大阪の中心軸はかつては御堂筋ではなく、堺筋だったそうで、
今でも近代建築が堺筋沿いにいくつも並んでいます。
高麗橋野村ビルディングを設計した安井武雄は、
3年後の1930年(昭和5年)に東京・日本橋の野村証券本店も設計してますね。
どちらも一風変わったデザイン。

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7階は後から増築された部分。
1階にはサン・マルクカフェとリストランテ・アンジェロ。
前はワインバー「高麗橋サロン」、その前は生命保険会社だったそうです。

地下鉄堺筋線のカラーが茶色なのはビルディングの色からとったとか、
エレベーターホールには十二支の方位盤があるとか。

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玄関には月と竹のイスラム風装飾。
軒の部分には瓦が使われている。

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「野村合名の地所部が建てた最初の貸ビル。堺筋に面し、間口は広いが奥行は
2スパンしかなく非常に浅い。1階は貸店舗、その上は6階まで貸事務室とする。

全体の造形は表現派的手法による。浅い奥行を補って建物の量感を出すために、
各階間の腰壁は上端を外にせり出して傾斜させた。これはかつてE.メンデルゾーンが
ベルリンの新聞社増築(1923年)で用いたのと同じ手法である。

安井は1923年(大正12)に『ギリシャ古典芸術に関する一考察』という論文を発表し、
動的均整(ダイナミック・シンメトリー)について強い感心を示しているが、
このビルの造形でその理論の実現化を目指したと思われる。

1階と最上階をやや軽くし、2~5階の中層部を水平・垂直の線や面を組み合わせて
量感を高める、均整のとれた動的(ダイナミック)な表現が造形の主軸となっている。

しかしこの建物では、腰壁天端の瓦形タイルや、玄関脇の三日月形の証明を載せた
独立柱など、大胆で人目を引く東洋的装飾がまだ多く見受けられる。これはおそらく
安井武雄が貸ビルというこの建築の性格を意識して行なったデザインであろう。」
「安井武雄 代表作品」より

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新井ビル(旧報徳銀行大阪支店)

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新井ビル(旧報徳銀行大阪支店)
1922年(大正11年)
設計:河合建築事務所(河合浩蔵)

ゼセッション様式。
1階は石貼り、2階以上はタイル貼り。
左右に入口があり、左側は1、2階の店舗への入口。
右側は階段となっていて、3、4階の貸しビルへの入口。
右と左、異なるビルを2つ組み合わせたような構造。

1927年(昭和2年)、金融恐慌で報徳銀行が倒産。
1932年(昭和7年)、現オーナー新井真一氏の先代が買い取り、全館貸しビルとなる。
その後、新井証券を経て、
1976年、1、2階にステーキレストラン『弘得社スエヒロ』オープン。
(※参考にしたサイトでは、「大正3年の建物を借り受け古風な石造りの建物を改装し、
レストランを開店。(登録有形文化財27-0021の有効利用)」となっていて、
設立年代が違っているが、これがたぶん新井ビルのことと思われる。)
1997年、国の登録有形文化財に指定。
2003年、Dining&Bar『KO's』新装開店。
(ちなみに、弘得社スエヒロは、
1910年(明治43年)に上嶋歳末氏が北新地に洋食レストラン『弘得社』を創業。
1951年(昭和 26年)に店名を『スエヒロ』と改称し,本店を現在の地(北新地)に移転。
『KO's』は創業時の名前。あちこちのサイトを見ると、
新井ビル=スエヒロと記憶している人が多いようです。)
2005年、スイーツ『五感・北浜本店』オープン。

建物に歴史あり、ですねー。
『五感』は有名店らしく、女の子たちが並んで入場を待っていました。
1階の菓子売場を眺めただけですが、広い吹き抜けと回廊をうまく使っている感じ。
元の銀行の営業室、会議室をカフェサロンに、
1階奥にあった金庫を厨房に利用しているそうです。

オーナー新井真一氏は、大阪万博の初代事務総長を務めた人だが、
20年ほど前に、テナントビルへの建て替えを計画、
最終的に“このビルへの愛着”から断念したとか。
そこらへんの話や五感へのリニューアルについてはこちらを参照。

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右側の階段室はこんな感じ。
昔は吹き抜け部分にエレベーターがあったそうだが、
戦時中の金属供出で撤去された。

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貸しビル内はこんな感じ。
フランス語講座を行なっている『leCours』、
『ギャラリーMEM』などのテナントが入っている。

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最上階にあるギャラリーMEM。
澤田知子展『Early Days』を開催してました。

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窓の下は工事中。
ここ北浜には古いビルも多いが、取り壊されたものも多く、
近くにあった三越大阪も2005年閉店。現在、工事中でした。

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階段踊り場。こういうのって問答無用で好き。

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テナントのひとつ『新井律子建築設計事務所』のサイトで
こんな言葉を発見。
「曾祖父が報徳銀行大阪支店の建物を昭和7年に買い取り、
祖父が「新井証券」を営んでいました。
祖先に見守られて仕事をしています。」
新井律子建築設計事務所より引用。

熱意あるオーナーとその子孫、
その熱意に打たれたテナント主など、
多くの人に愛されて現役で利用されている幸せな建物だと思います。

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日本基督教団浪花教会

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日本基督教団浪花教会
1930年(昭和5年)
設計:竹中工務店
設計指導:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ/ヴォーリズ建築事務所

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1877年(明治10年)、日本初の自給教会、浪花教会を創立。
宣教師、澤山保羅(ぽうろ)が日本で最初の牧師となる。
1878年(明治11年)、梅本町教会(現・大阪教会)と浪花教会が協力し、
梅花女学校(現・梅花学園)を設立。
「教会自身が、まだ会堂を所有できない状態にもかかわらず、
多額の基金を集めて梅花女学校に投入してくれたのです」
梅花学園ホームページより
(ちなみに、日本女子大学の創立者、成瀬仁蔵は、
澤山保羅のもと、浪花教会で洗礼を受け、梅花女学校の教師となり、
1901年に日本女子大学を創立しています。)

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旧大阪教育生命保険

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シェ・ワダ(旧大阪教育生命保険)
1912年(明治45年)
設計:辰野片岡建築事務所
施工:営繕司直営

ながらく大中証券ビルとして知られていたそうですが、
2002年、再生コンペを経て、フランス料理店『シェ・ワダ高麗橋本店』に。
「建物を生かしたい」と内部は数億円をかけて改装したらしいが、
写真で見る限り、高級な雰囲気はあるが、レトロっぽさが薄められているような感じ。

大中証券はその後、ユニコム証券となり、2002年に日本アジア証券に統合。
日本アジアホールディングズは、東京・日本橋の近代建築だった金万証券から
2001年に経営権を取得してます。
日本アジア証券のサイト参照。
同サイトには、金万証券と大中証券、
まったく趣きの違う2つのレトロビルの写真が載っていて変な感じ。

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隣は浪花教会。どっしりとした近代建築が並んでいる様は迫力。

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屋根の隅にある彫刻。
波の部分以外なんだか不明。ライオンらしい。

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正面の彫刻は部分的に削れちゃってますね。

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ちなみに左隣は日本料理店『吉兆』。

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八木通商

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八木通商(旧大阪府農工銀行)
1917年(大正6年)
1929年(昭和4年)改修
設計:辰野片岡建築事務所
(改修:国枝博)

辰野金吾の設計だが、
現在のテラコッタの外観は国枝博の改修によるもの。
昔は赤レンガだったそうで、今でも一部レンガ壁が残っている。
とってつけたような3階は後から増築された部分。

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アラベスク文様。

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縁取り部分は中華ラーメンっぽいけど、
中国の雷文は、ギリシアではメアンダー模様として
建築の装飾に広く使われているらしい。

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1968年から八木通商本社。
レトロビルをあえて使おうとする八木通商ってどんな会社?
と思ったら、three dots、マッキントッシュ、モンクレールなどの
海外ブランドを取り扱っているアパレル商社なんですね。

「八木通商は建築と深い関係があります。というのも、
二人の創業者の一人、八木常三は
優れた建築に社を構えることを大切にしていたからです。

1968年(昭和43年)、この建物を縁あって八木通商が手に入れ、
今も保存に努めながら使用しています。
外観にアラベスク文様を多用したテラコッタタイルを使い、
独特の柔らかなトーンと表情を醸し出しています。」

八木通商は優れた建築物の保存として、国内のみならず
海外の歴史的建築物の修復に対しても支援を行っています。
当社が海外拠点を置き、長年の取引国であるフランスにおいて、
ノルマンディー地方にある16世紀の建築物、
サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂の修復・再生事業に参加協力致しました。」
八木通商サイトより

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大阪松竹座

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大阪松竹座
1923年(大正12年)
設計:木村得三郎(大林組)
1997年、改築。

ネオ・ルネッサンス様式。
1923年、日本初の洋式劇場として誕生。
初演はドイツ映画『ファラオの恋』、松竹蒲田作品『母』、
松竹楽劇部による実演『アルルの女』。
その後、松竹楽劇部(のちのOSK)の本拠地となり、
戦前は洋画、戦中、戦後は邦画封切館として興行。
1952年、洋画封切館として再発足。
1994年、洋画封切館を閉館。
1997年、正面玄関を残して全面改築。
可動式アーチや迫り付き回り舞台を備えた、演劇専用劇場となる。

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サリバンアーチ。
映画館だったときに来てみたかった。
かつて淀川長治が勤務していたとか。

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夜の松竹座。
ミラノスカラ座がモデルとか、パリの凱旋門を模したとか言われてます。
ファサード保存って変なものが多いですが、これは成功例なのでは。

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向かいにあった古いビル。いい味だしてます。

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大丸心斎橋店

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大阪大丸百貨店(大丸心斎橋店)
1922年(大正11年)
設計:ヴォーリズ設計事務所
施工:竹中工務店
竣工:1期1922年、2期1925年、3期1933年

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ヴォーリズによるアメリカン・ゴシックの好例と言われる大丸心斎橋店。
そういわれてみると、山の上ホテルにも似ている。
外観は3層に分かれていて、
下から白色(花崗岩)、茶色(スクラッチタイル)、白色(テラコッタ)で構成。
内装はアール・デコ。というか、ここは本当に百貨店なのか、というくらい豪華。
昔は百貨店ってこういう場所だったんだなー。

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1922年の竣工後、2回の増築。
1933年の大拡張計画には佐藤久勝が設計に携わっている。
左側のビルは後に増築された部分だと思うが不明。
そのほか、何度も増築、改装を繰り返してますが、
基本的にヴォーリズの意匠を大切にしているとのこと。
2005年10月に「大丸心斎橋店建て替え」と報道されましたが、
大丸側は否定してます。2行しかないそっけないリリースが笑える。
最近できたものらしいですが、
中2階にはアールデコ調のカフェ「サロン・ド・デ・ヴォーリズ」があります。

1717年(享保2年)、下村彦右衛門正啓によって京都伏見に呉服店創業。
1726年、心斎橋に大丸開店。
1914年(大正3年)、現在の場所に店舗完成。
1918年(大正7年)、ヴォーリズによる大丸心斎橋店が完成するも、1年4ヵ月で焼失。
1933年(昭和8年)、現在の大丸心斎橋店が完成。
1945年、空襲で焼失した部分を修復。
1954年~1962年、8階部分を増築。
2000年、改装。

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御堂筋側玄関。
そのほか、あちこちにダビデの星がモチーフとして使用されている。

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大丸心斎橋店開店280周年記念ということで飾られていた呉服店の模型。

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中之島 etc

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大同生命ビル
ヴォーリズによる旧ビルの意匠を継承したデザイン。

1925年(大正14年)、旧大同生命ビル竣工。
エレベーター、空調設備を備えた近代的なオフィスビルだった。
ヴォーリズは、この大同生命ビル本社設計の縁から、華族の一柳満喜子と結婚。
戦中に帰化して一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗る。
1993年、一粒社ヴォーリズ建築事務所によって建て替え。

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旧ビルの最上階にあったレリーフテラコッタ。
現在は新ビル横の広場に展示されている。
新ビルの上階もよく見ると同じデザイン。

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大同生命ビル前に建つ銅像。
旧ビルを大切に思っているようで、
入口前に旧ビルの写真や歴史が展示されていました。記念室もあるらしい。
ビルのデザイン自体は微妙なところですが、
何も知らないで見ても、「あ、このビルは旧ビルのイメージを継承してるんだな」
ということがなんとなくわかる。
丸の内のような旧ビルの上に高層ビルというデザインより、
古いものから新しいものを作ろうという意気込みを感じる。

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大同生命ビルの入口。
旧ビルの営業室にあったアーチ状の天井をイメージしているとか。

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ダイビルの近くにあった建物。

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フェスティバルホールの信楽焼きのレリーフ「牧神、音楽を楽しむの図」

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住友ビルディング

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住友ビルディング(旧住友銀行本店、現三井住友銀行大阪本店営業部)
1930年(昭和5年)
設計:住友工作部(長谷部鋭吉+竹腰健造)
施工:大林組
竣工:1926年第1期工事(北側)、1930年第2期工事(南側)

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中之島、淀屋橋の近くに立つクリーム色の建物。
川をはさんで向かいには日本銀行。
長方形のデンとした構えながら、玄関部分だけ装飾的。

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ルネサンス様式。
基礎は、2000本の松の丸太杭を打ったうえに鉄筋コンクリートで礎版。
外装は、播州産の竜山石とイタリア産の大理石を素材に、
自然石の濃淡を模した擬石ブロックを貼りつけ。
南側の壁面は、他の3面とは異なる丸みを持たせた窓となっている。
当初7階建ての予定だったが、関東大震災の影響により5階建てに変更。
(でもその後増築しているので6階建て。)

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イオニア式の柱が見事な玄関。

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玄関ホールの天井。

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玄関ホールにいたこいつは何? アヒル?

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大きな建物なのに、なんとなくひっそり感がただよう。

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5階の一部の窓だけ半円の飾りが。
玄関部分は「SUMITOMO MITSUI」、
ここは「三井住友銀行」と名前が差し替えられている。

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側面。

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上の方にはライオン? アザラシ?

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ダイビル

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ダイビル(大阪ビルディング)
1925年(大正15年)
設計:渡辺節建築事務所
製図主任:村野藤吾、構造設計:内藤多仲
施工:大林組

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大阪商船(現:商船三井)、宇治川電気(現:関西電力)、 日本電力(現:関西電力)
の3社共同出資により設立された大阪ビルヂングのオフィスビルとして誕生。
関東大震災の教訓を生かし、大阪で初めての耐震構造を供える。

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外部1階正面は彫刻を施した龍山石による列柱、
その上部壁面を化粧煉瓦(タペストリブリック)、軒部をテラコッタで仕上げ。

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「内外の装飾は通じて簡素を旨とせしと雖も其の要部に於て
は放胆なる意匠と自由なる彫塑を以って豊ならしめたり」
との設計者の言葉どおり、合理主義的デザインの一方で、
玄関上部には大国貞蔵作の彫像装飾を冠したロマネスク風の半円アーチを置き、
その左右5スパンに全面に浮き彫り装飾を付した付け柱(ピラスター)、
化粧梁を配するなど華麗な意匠を備えている。
ダイビル(旧大阪ビルディング)の保存に関する要望書より

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狼? 隣の柱には羊らしき彫刻がありました。

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正面玄関上にある『鷲と少女の像』。

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ロマネスクな柱の彫刻。

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こ、こわい……。

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2009年に解体が決定しているものの、
大阪名品喫茶「大大阪」をはじめ、ダイビルを愛する人々が
取り壊しまでの期間限定でテナントを構えている。

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小さいながらも華麗な玄関ホール。

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2階にあった郵便差入口。

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郵便差入口。エアーシェルターの要領で、ここから手紙を入れると

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1階にあるポストまで落ちる仕組み。
おそらく各階に差入口があると思われ、シンプルながらすばらしい機構。

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日本銀行大阪支店

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日本銀行大阪支店
1903年(明治36年)
設計:辰野葛西建築事務所
(辰野金吾、葛西万司、長野宇平治)
1982年改修

1882年(明治15年)12月、本店開設後2ヵ月余りで大阪支店開設。
1903年(明治36年)、現在の元島原藩蔵屋敷跡に移転。
1975年、新館起工。
1980年、新館竣工。
1980年~1982年、旧館復元・改修工事。

真ん中にドーム型の屋根、両脇に三角屋根。
かつては三角屋根の下は天井吹き抜けのロビーで、
採光効率を高めるため、三角屋根部分のみガラス製素材を採用。
そのほかの屋根は青銅板。

外壁はレンガ壁に花崗岩を積んだもの。
もともとは白色系の壁面だったが、明治以来からの煤煙や、
戦時中に空襲を回避するために塗った(!)薄墨などで
薄黒くなっており、改修の際に弱アルカリ性洗剤で洗浄、
新館との色調のバランスをとっている。
改修工事は、御堂筋側から見える東、北、南の壁面だけを残し、
西面、屋根、床面を取り外して、内部の工事を行ない、
工事終了後に屋根を再び取り付けている。
以上、支店博物館を参照。

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角柱と丸柱を混用した玄関ポーチ。

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旧館は、ネオ・ルネッサンス様式を採り入れたネオ・バロック様式。
ベルギー国立銀行がモデルだとか。

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新館。中之島の景観を考慮し、旧館に似せてデザインされている。

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日銀前にあったポスト。


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中之島図書館

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中央公会堂から中之島図書館へと続くみおつくしプロムナード

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プロムナードから眺めた中之島図書館。

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中之島公園に立つ銅像。

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飛び込むところ?

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中之島図書館
1904年(明治37年)
設計:住友本店臨時建築部(野口孫市・日高胖)

1900年(明治33年)、住友家第15代当主・住友吉左衛門友純が、
建設費15万円、図書購入費5万円の寄付を大阪府に申し出る。
建物工事着工。設計は住友臨時建築部の技師長、野口孫市と技師、日高胖。
1904年(明治37年)、“大阪図書館”開館。
1906年(明治39年)、“大阪府立図書館”に改名。
1917年(大正6年)、住友家が本館増築の寄付を申出。
1920年(大正9年)、日高胖の設計により本館増築工事に着手。
1922年(大正11年)、増築落成式。
1974年、“大阪府立中之島図書館”に改名。国の重要文化財に指定。

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竣工当初は中央の建物のみで、両翼の部分は1922年に増築された。

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イオニア式円柱にペディメントを戴いた玄関ポーチ。

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“大阪図書館”の文字。

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公共施設なので入れます。
当初は普通閲覧席2銭、特別閲覧席5銭の閲覧料を取っていたそうですが、
1951年に全面廃止。
正面玄関は使われておらず、横の石をくぐって入る。
受付で入館証をもらい、荷物はロッカーに。

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中央ホール。
ホールがあまりにも美しいので、ダメ元で聞いてみたところ、
許可を取ればホールのみ撮影可とのこと。
簡単な書類を書いて撮影させてもらいました。

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ホールギャラリーには、菅原道真、孔子、ソクラテス、アリストテレス、
シェイクスピア、カント、ゲーテ、ダーウィンの八哲の名が記されている。

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ドーム部分。

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ホール壁面に北村西望による野神像と文神像が立っている。
写真は“野神像”。

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メインの機能は中央図書館に移っているようで、
書籍数はそれほど多くありませんが、利用している人は結構いるようで
こんな図書館が近所に欲しいと思いました。

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大阪市中央公会堂

雨の中、梅田から中之島まで歩きました。

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フェニックスタワー
“WELCOMING-FLAG/幟”がイメージだとか。

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大江橋北詰
1935年(昭和10年)
一般公募により大谷龍雄のデザインが選ばれた。

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右に日銀。

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左に大阪市役所、中之島図書館が見える。

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大阪市役所
1986年
1921年(大正10年)に建てられた旧大阪市役所は1982年解体。

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旧庁舎にはかなうべくもないが、この手のデザインは嫌いじゃない。

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財政問題やなんやらでいろいろ言われている大阪市役所。
中之島図書館前からの眺め。

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大阪市中央公会堂
1918年(大正7年)
原設計:岡田信一郎
実施設計:辰野片岡建築事務所
施工:清水組
2002年改修
改修設計:大阪市住宅局営繕部、坂倉・平田・青山・新日設設計共同企業体

1911年(明治44年)、大阪北浜の株式仲買商、岩本栄之助が建設資金として100万円を寄付。
1912年(明治45年)、建築設計競技により最優秀案となった岡田信一郎の原案に
辰野金吾氏と片岡安氏が手を加えて設計。
1913年(大正2年)、建設工事着手。
1918年(大正7年)、竣工。
尾崎行雄や犬養毅、若槻礼次郎らの演説会、三浦環の独唱会、山田耕筰の演奏会、
ヘレン・ケラーの講演会、宇宙飛行士ガガーリンやテレシコワの歓迎集会を開催。
1970年代に老朽化により、取り壊しも検討される。
1988年、市民による保存運動の結果、永久保存を決定。
1996年、中央公会堂保存・再生プロジェクト技術検討会を設置。
1999年、保存・再生工事着手。
耐震性、利便性の向上、外観・内部空間を建設当時の姿に復元。
2002年、改修工事完了。国の重要文化財に指定。


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岡田信一郎というより、辰野式のイメージが強い。
辰野くんがよくやった方法らしいが、審査員として設計を選び、手を加える。
弟子とはいえ、岡田信一郎は嬉しくなかったんじゃないかなー。

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岩本栄之助は、米国視察の際に、
アメリカ企業のトップが、公共の福祉事業を支援していることに感銘を受け、
大阪市に100万円(現在でいうと30~50億円)を寄付。
しかし、その後、株取引で失敗し、無一文となり、
大阪市が援助を申し出たが、それも断り、
1916年(大正5年)、公会堂の完成を待たず、ピストル自殺。
辞世の句は「この秋を待たで散りゆく紅葉かな」。

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「ネオ・ルネッサンスを基調にバロック的な躍動感を加味した意匠」だそうです。

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1階はサンクンガーデン。
カフェ・レストラン中之島倶楽部がある。

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大阪市章の“澪標(みおつくし)”と鳳凰をデザインしたステンドグラス、
松岡壽が“天地開闢”を描いた天井画のある貴賓室(現・特別室)、
迫り出し舞台のある大集会室があるが、賃貸しのため、見学はできず。
1階の展示室でギャラリーが開かれていたので、1階だけちょっとのぞく。
改修の際にユニバーサルデザインをめざしているだけに、
トイレは自動で大きく両側にドアが開く仕組み。
市民の利用を推奨しているので、大集会室5万円(平日、午前)、
特別室2万3800円(平日、午前)から借りることができる。
結婚式(貴賓室26万2500円)だってできちゃいます。


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梅田阪急ビル

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梅田阪急ビル(阪急百貨店)
1929年(昭和4年)
設計:阿部建築事務所、竹中工務店

大阪に到着して最初に見に行った梅田阪急ビル。
旧阪急梅田駅コンコースの具体的な場所がわからず、
しばらく地下と地上をうろうろしました。
旧阪急梅田駅コンコースについては、保存運動も起こっていますが、
私が見に行ったとき(2006年3月)は、伊東忠太の壁画ははずされて、
両側は白い覆いで囲われていました。グランドドームも見れず。

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すでに工事が始まっている南側。
百貨店前の歩道橋が取り外され、迂回路が設置されていました。

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こっち側はまだ営業中。
第一期、第二期と営業を続けながら、解体・新築工事が行なわれる。

1925年(大正14年)、阪神急行電鉄梅田駅(現・阪急電鉄梅田駅)に隣接した
阪急ビル(梅田阪急ビル)に阪急直営マーケットを開業。
1929年(昭和4年)、世界初のターミナルデパート、阪急百貨店(うめだ本店)を創業。
1931年(昭和6年)、第二期増築工事。
1932年(昭和7年)、第三期増築工事。
“スチールアーチリッブ(アーチ型鉄骨)”を用いた、旧コンコースのドーム空間が完成。
1936年(昭和11年)、第四期増築工事。
伊東忠太による旧コンコースのドーム空間の意匠の実施設計が行なわれる。

1971年、大阪万博に伴い、阪急梅田駅、移転。
旧コンコースは阪急百貨店の一部として残される。
旧駅跡地に阪急グランドビルが完成。
ボールト天井と電照ステンドグラスをもつグランドドームが完成。
2005年2月、梅田阪急ビルの建て替えを発表。
2005年9月13日、旧阪急梅田駅コンコースの天井装飾の公開を終了。
2005年9月14日、梅田本店南側半分の解体・新築工事に着手。
2007年秋、南側半分が竣工予定。北側半分の解体・新築工事を開始予定。
2011年春、高さ187m、地上41階、地下2階の新ビル(新梅田阪急ビル)が完成予定。
阪急百貨店(沿革)
旧阪急梅田駅コンコースを残したい…参照。

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白い覆いがかけられた旧阪急梅田駅コンコース。

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伊東忠太の壁画とシャンデリアは取り外され、新ビルに引き継がれる予定。

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伊東忠太と旧コンコースばかりがクローズアップされ、
混同されがちですが、アーチ型の旧コンコースとグランドドームは
設立した時代も設計者も異なります。
また、伊東忠太はモザイクタイルの壁画など、一部の意匠設計のみで
阿部美樹志をはじめとする人々のことも忘れちゃいけないと思うのです。

阿部美樹志
札幌農学校土木工学科を卒業し、鉄道院に。
東京~万世橋間の高架橋建設を設計。
梅田阪急ビルのほか、十三~梅田間の高架橋建設、神戸原田~三宮の高架橋、
阪急会館、西宮スタジアム、三宮駅ビルなど、阪急・東宝グループの建築を設計。

伊東忠太
旧コンコースのドーム空間は阿部美樹志が設計し、
意匠考案を伊東忠太に依頼することを阪急側に提案。
伊東は最初、中国の古典思想によって、青竜、白虎、朱雀、玄武の四神を
ドームの東西に配置しようと図案化するが、
「青龍、白虎、朱雀までは無難であったが、玄武が如何にしても面白くなく、
墓内の壁画ならば兎に角あの場所に遅鈍の亀と陰険の蛇では人に快感を與へ難い」
と、四神にかえて阪急電車の快速と威力を象徴するものとして
「龍、馬、獅、鳳(朱雀)の四動物」を選んだ。

小林一三
阪急電鉄・阪急百貨店・阪急東宝グループの創業者。
1873年(明治6年)、山梨県韮崎生まれ。
三井銀行を経て、1910年(明治43年)、箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)を設立。
「乗る人がいなくて赤字になるなら、乗る客を作りだせばよい。
それには沿線に人の集まる場所を作ればいいのだ」
「乗客は電車が創造する」と、
阪急電鉄の終点である宝塚に一大レジャーランドを築き、
もう一方の終点である梅田に阪急百貨店を作り、
路線間の宅地開発を行ない、後の私鉄経営のモデルとなる。
そのほか、東京宝塚劇場を設立、日劇、帝劇を合併し、東宝を創立。
阪急ブレーブス、宝塚歌劇団を創立。
「私が死んでも宝塚とブレーブス(阪急ブレーブス、現・オリックス・バファローズ)
だけは売るな」と遺言したという。

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