目黒雅叙園 その1
目黒雅叙園 百段階段
1935年(昭和10年)
『建築探偵 神出鬼没』に「一度見たら三度うなされる」と
書かれていた目黒雅叙園。
『建築探偵』執筆時点では、改装が決定しているとのことだったので、
今はどうなってるんだろうと検索してみたら、
ちょうど77周年記念イベント『東京タイムクルージング 美と匠の祭典』と称して、
食事付きで百段階段を公開していたので行ってきました。
百段階段といっても実際には99段。
百段一気に登るわけではなく、16段登ったらお部屋、さらに16段上に次の部屋、
行人坂にそって、6つの部屋が作られ、階段でつないだため、こういう構造になった。
階段は欅板、天井は秋田杉で、ここにも日本画が描かれている。
「写真で見るほど急でもないし、狭くもないので安心してください」
と案内の方に言われる。
1928年(昭和3年)、細川力蔵が自邸を改築し芝浦雅叙園という純日本式料亭を開始。
(ここから数えて77周年?)
1931年(昭和6年)、東京府荏原郡目黒町大字下目黒字坂下耕地一帯および
岩永裕吉邸を入手し、目黒雅叙園をオープン。
その後、1943年(昭和18年)まで全7期に渡って、2号館から7号館を建設。
百段階段は1935年(昭和10年)に竣工した3号館。
1991年、目黒川の拡張にともない改築。
3号館以外の多くの部屋は移築復元され、現在の建物の宴会場や個室になっている。
案内の方の話によると、平成の改築の際に
百段階段は大工の詰所として使われたため、
客間として使用するにはだいぶ汚くなってしまったので、
今は公開のみ行なっているとのこと。
そもそも大工の詰所にしちゃったのがどうかと思いますが、
改築後の一時期は事務所として使われていたこともあるらしく、
目黒雅叙園側には最近になるまで、この百段階段が貴重な建築である
という意識が薄かったようです。
1階のエレベーター入口はこんな感じ。
基本的には限定公開ですが、
宿泊客や今回のようなイベント、観光ツアーなどで見学できます。
こちらは出口。
エレベーター内も唐獅子牡丹。
改装時に百段階段の部屋から図案をとったそう。
螺鈿作りではあるが、昔のように白蝶貝というわけにはいかないので、
もっと一般的な貝を使っているとか。
一番最初の部屋、十畝(じゅっぽ)の間
天井三十三面の日本画は荒木十畝によるもの。
まわりには螺鈿の飾り。
床柱は左は一位、右はパウ・ブラジル。
一番派手な漁礁(ぎょしょう)の間
『千と千尋の神隠し』のモチーフになったことでも有名。
と言われて『千尋』にそんな場面あったけと思ったのですが
見学後に食事をした中華料理店で雑誌に載った写真を見せてもらったら
かおなしが巨大になって大暴れする部屋がたしかに似ている。
『千と千尋』はほかにも道後温泉や
江戸東京たてもの園に移築された子宝湯などをモチーフにしています。
菊池華秋 画(床、床脇、天井彫刻原画)
尾竹竹坡 原図、盛鳳嶺 彫刻
左が夏、右が秋、左右の柱の漁礁の物語が描かれている。
天井には彫刻。
壁は浮き彫り。すべてが3D。
今とはちょっと違うが七夕の様子。
草丘の間
礒部草丘 画。
窓からは漁礁の間の屋根が見える。
『千と千尋』では千尋が寝起きする部屋として登場。
こんなところに魚が。
静水の間
橋本静水、池上秀畝 画(天井)
長嶋華涯、小山大月、猪巻清明 画(欄間)
天井には大きな扇が。
灯りの飾り部分も凝ってます。
その上の木組も見事。
窓の外には以前使われていた水路の跡が。
その向うに見えるのは旧4号館。
取り壊されたままになっているのだとか。
星光の間
板倉星光 画。
描かれているのは、竹の子やトウモロコシなど身近な食材。
案内の方も言っていましたが、一番落ち着く爽やかな部屋。
トウモロコシ。
こちらは蝶々。
部屋ごとに異なる組子障子の模様。
清方の間
鏑木清方 画。
最初に「一番いい絵は一番上にありますから、がんばって登ってくださいね」
と言われたのですが、素人目にも、この部屋の日本画の美しさはわかる。
目黒にまつわる物語と四季の美人画が描かれている。
『四季美人画 雪しぐれ』
『四季美人画 娘道成寺』
天井は8つの三角形に区切り、
扇面に杉の柾板を、下地に杉の網代を張っている。
障子は触るときちんと面取りされている。
これだけの模様を完全に復元するのは今では難しいとか。
階段の途中にはこんな場所も。
電話の跡?
その2に続く。