※日比谷通りをまとめていたら、だいぶごちゃごちゃしてきたので、
覚え書きとして年表をつくってみました。
建物の名前は特に明記されていないかぎり竣工年ですが、
資料によって年号が違ったりするので、間違い等ありましたら、ご指摘ください。
※しかし、こうやってあらためて見ると、丸の内っていうのは
国と三菱によって作られた街なんですね。
2008年からは「丸の内再構築第2ステージ」だそうです。
三菱1号館が復元されるとのことなので注目しましょう。
江戸期
1603年(慶長8) 江戸幕府成立
江戸城を中心とした都市基盤の整備が始まる。
1607年(慶長12) 日比谷入江の埋め立て
外国船からの攻撃を避けるため、本郷台地先端の神田山(現在の駿河台)を
崩して、日比谷入江を埋め立てた。
内濠と外濠が掘られ、大名屋敷が立ち並ぶ大名小路が整備された。
皇居外苑が平坦なのは埋立地だから。
明治期
1869年(明治2) 新政府成立
大手町に大蔵省が設置される。
旧大名屋敷を転用した行政機関や裁判所が立地し、
有楽町・日比谷周辺は練兵場に用いられていた。
大蔵省及び内務省は現・三井物産本社、司法省は現・東京駅。
1877年(明治10) 常磐橋完成
常盤橋御門は江戸城の門のひとつで、日光・奥州方面の正門だった。
常盤橋は現在も貴重な洋式石橋として残っている。
1889年(明治22) 市区改正設計により丸の内の一般市街地としての利用が決定。
1890年(明治23) 丸の内一帯(13万5000坪)が三菱社に払い下げられる
政府は一括払い下げを譲らなかったため、買い手はなかなか決まらなかった。
丸の内一帯の陸軍省用地及び三崎町土地の価格は128万円。
(10万7000坪、150万円説もあり。)
渋沢栄一ら新興実業家たちは連名による共同購入を画策していたが、
三菱財閥の二代目総帥、岩崎弥之助が全地買占めを断行。
当初は何の利用もされなかったため、“三菱ヶ原”と呼ばれた。
1894年(明治27) 日本初のオフィスビル三菱1号館が竣工
設計:ジョサイア・コンドル 地階付き3階建て、延べ床面積1457坪
煉瓦造屋根スレート葺 現在の三菱商事ビルの位置にあった。
1895年(明治28) 三菱第2号館(後に明治生命館)
設計:曾禰達蔵
1896年(明治29) 三菱第3号館
設計:曾禰達蔵 日本初のエレベーターを設置
1899年(明治32) 東京商業会議所
馬場先通り沿いに4軒の西洋建築が建ち並び、
この時期は“三菱村の4軒長屋”と称された。
以降、1912年(明治45)までに20におよぶ赤煉瓦建築が建設され、
馬場先通り沿いに赤煉瓦のオフィスビルが立ち並ぶ様は、
“一丁ロンドン”と呼ばれた(一丁=約100m)。
1903年(明治36) 陸軍連兵場跡地に国内初の洋式公園日比谷公園が開園。
市区改正新設計
1904年(明治37) 三菱4号館
設計:曾禰達蔵 煉瓦造屋根スレート葺
現在の古河ビルの位置にあった
1908年(明治41) 東京駅着工
1910年(明治43) 三菱12号館
1911年(明治44) 三菱13号館
帝国劇場
設計:横河民輔
鉄骨煉瓦造、ルネッサンス洋式で作られた日本初の純西洋式劇場
大正期
1914年(大正3) 東京駅開業
設計:辰野金吾 赤煉瓦と白い石を組み合わせたルネッサンス様式の建物。
正面桁行184 間(334.54m)、南北2 つのドームの高さは152尺(46m)。
1945年(昭和20)の空襲によりドームは焼け落ち、八角屋根の形で再建。
現在、ドームの復元が予定されている。
1916年(大正5) 東京銀行集会所
1918年(大正7) 東京海上ビル
設計:曽禰中條事務所(曾禰達蔵)
7階建て、鉄筋コンクリートによる実用性重視のアメリカ式オフィスビル
1920年(大正9) 日本工業倶楽部会館
設計:松井貴太郎 実業家のための社交クラブとして建設。
正面玄関のドリス式双子柱が特徴。国の登録文化財。
1922年(大正11) 東京會舘
設計:清水組、田辺淳吉、草間市太郎
セセッション式、ルネッサンス様式。
三菱銀行本店
設計:三菱地所、桜井小太郎、藤村朗
SRC、花崗石積 石の列柱が印象的なギリシア神殿風の外観。
1923年(大正12)2月 丸ノ内ビルヂング
設計:三菱地所設計
地上8階、地下2階、延べ床面積6万2000平方メートル
カーテンウォール工法など新しい建築工法を駆使した最新式ビル
戦前完成した建造物の中で、最大の延床面積を誇った。
帝国ホテル新館(ライト館)
9月 関東大震災
帝都復興事業により行幸通り、常盤橋が完成
日本郵船ビル
設計:曽禰中條事務所 SRC 造、外装はルネサンス式テラコッタ張り。
東京海上ビル、丸ビル、日本郵船ビルなど行幸通り沿いのビルは
アメリカ式のオフィスビルであったため、“一丁ニューヨーク”と称された。
昭和期
関東大震災後、、大手町に残る官庁施設の霞ヶ関への移転が進み、
報道機関や金融機関の本社などが立地。
1928年(昭和3) 丸ノ内八重洲ビル
※丸の内再構築第2ステージの一環として、丸ノ内八重洲ビル、
古河ビル(1965年)、三菱商事ビル(1971年)の3棟を一挙に建て替え、
この場所にあった三菱1号館を復元する計画が発表されている。
1929年(昭和4) 日比谷公会堂(市政会館)
設計:佐藤功一 ネオ・ゴシック様式。東京都選定歴史的建造物。
三信ビル
設計:横河工務所(松井貴太郎) 茶色のタイルと三連窓が特徴。
内部は二層吹き抜けのアーケード商店街、天井のアーチが印象的。
1931年(昭和6) 東京中央郵便局
設計:逓信省経理局営繕局(吉田鉄郎)
白タイル仕上げの初期モダニズム建築。インターナショナルスタイル。
1932年(昭和7) 日清生命館
1934年(昭和9) 明治生命館
設計:岡田信一郎 アメリカンボザール様式。
コリント式の列柱が並ぶ重厚な外観。国の重要文化財。
1937年(昭和12) 帝室林野局
設計:佐藤功一 現在のパレスホテルの位置にあった。
1938年(昭和13) 第一生命館
設計:渡辺仁・松本与作 装飾を排した新古典主義的なデザイン。
戦後占領軍総司令部GHQがおかれた。
1952年(昭和27) 日活国際会館(後の日比谷パークビル)
新丸の内ビルヂング
1958年(昭和33) 大手町ビル
建物中央部に設備を集中させたコアシステムを採用
1959年(昭和34) 三菱地所、丸の内総合改造計画を決定
高さ31mにそろった建物が並ぶ仲通りが整備される
1960年(昭和35) 行幸通りを掘り、地下2階520台収容の丸の内駐車場を設置
※駐車場を保有するのは、三菱地所の関連会社・丸の内駐車場株式会社
2005年、地下1階部分は、広場を含む地下通路へと再整備される予定で、
三菱地所は特典として、新丸ビル建て替えでの容積率緩和を受ける見通し。
1963年(昭和38) 建築基準法改正(絶対高さ制限から容積制へ移行)
日本生命日比谷ビル
1966年(昭和41) 東京海上ビル建て替え計画、美観論争へと発展
以後、高さ100mを目安に高層化が進む。
有楽町ビル、国際ビル(帝国劇場)建て替え
1967年(昭和42) 帝国ホテルライト館解体
1970年(昭和45) 帝国ホテル新本館
1971年(昭和46) 東京會舘建て替え
1974年(昭和49) 東京海上ビル建て替え
1978年(昭和53) 郵船ビル建て替え
1993年(平成5) 東京銀行協会ビル建て替え
1995年(平成7) 第一生命館と農林中央金庫がDNタワーとして再生保存
1996年(平成8) 大手町野村ビル
1997年(平成9) 丸ノ内ビルヂング解体
元国鉄本社ビル跡地売却
1998年(平成10) 丸の内再構築第1ステージ
丸ビルをはじめとする6棟の建て替えがスタート
2002年(平成14) 丸の内ビルディングオープン
2003年(平成15) 日比谷パークビル解体
日本工業倶楽部会館・三菱信託銀行本店ビル
2004年(平成16) 丸の内オアゾオープン
旧国鉄本社跡地とその隣接地につくられた複合街区。
丸ノ内ホテル、日本生命丸の内ビル、丸の内北口ビル、
新丸の内センタービル、丸の内センタービル、ショッピングゾーンからなる。
2005年(平成17) 新丸の内ビルヂング解体