三越本館

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三越本館
1927年(昭和2年)
設計:中村伝治(横河工務所)
1999年、東京都選定歴史的建造物

※設計年については以下のように増改築をくりかえしているので、諸説あり。
建築系のサイトでは1927年としているものが多いが、
三越のサイトには「現在の建物は1935年に増改築したもの」と書かれている。
設計者についても横河民輔と書かれているサイトが多い。

1637年(延宝元年)、伊勢松坂の呉服商、三井高利が
日本橋本町1丁目に「越後屋」を開業。
1904年(明治37年)、日本初のデパートメントストア方式を採用した百貨店として、
株式会社「三越呉服店」を設立。
1914年(大正3年)、本館完成。玄関に青銅のライオンが飾られる。
1921年(大正10年)、西館を増築。
1927年(昭和2年)、関東大震災で焼かれた全館を修復。
日本初の自動扉エレベーター、新式エスカレーターを設置。
1935年(昭和10年)、6年の歳月を費やし増築改修。
2004年10月、本館リニューアルに加え、新館が新たにオープン。

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中央通り側正面。
増改築をくりかえしていますが、1914年の本館も横河工務所による設計。
百貨店という新たな店舗経営の形を、越後屋呉服店に提案したのも
横河民輔だと言われている。

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館内は撮影禁止なので遠慮しましたが、
5階吹き抜けの中央ホールはぜひ見ておくべき。
そのほか、大理石の使われている階段や、
レトロなデザインを残すエレベーターやトイレなど、雰囲気のある店内です。

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ライオン像
三越百貨店の支配人、日比翁助が百貨店準備のため
欧米を視察した際にイギリスで注文。
ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔の4頭の獅子像がモデルとされ、
英国の彫刻家メリフィールドが型どり、バルトンが鋳造。
ライオンくんの説明には「誰にも見られずに背中に乗ることができたら
受験に成功するという噂もある」と書かれていましたが、昼間は無理だろう。

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百貨店だからしかたがないが、ちょっとやりすぎ感のあるライトアップ。

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交詢ビルディング

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交詢ビルディング
2004年
設計:清水建設
※基本設計段階での外観デザイン共同設計事務所
デビッド・チッパーフィールド・アーキテクツ(ロンドン)
施工:清水建設
地上10階、地下2階、塔屋2階

元の建物は
竣工:1929年(昭和4年)
設計:横河工務所
施工:清水組

交詢社は福沢諭吉が1880年(明治13年)に設立した、
政治家や経営者のための日本で最初の会員制社交クラブ。
交詢社の名は福沢諭吉の「知識を交換し世務を諮詢する」というスローガンから。
1923年(大正12年)の関東大震災により旧社屋が全壊。
1929年(昭和4年)、2代目のクラブハウスビルとして交詢ビルディングが再築。
設計を手がけたのは、横河民輔の長男である時介。
クラブ専用スペースには、談話室、ガラス天井のベランダ風ロビー、大食堂、
コテージ風の小食堂、バー、ビリヤード場、和室が備えられ、
1930年から1932年にかけて、インドアゴルフ練習場、講堂が増築された。
その後、70年を経て、老朽化や耐震上の面から建て替えが決定。
一部を残し、2002年、解体。

2004年10月にオープンした現在の交詢ビルは、
地下1階から5階は商業施設「交詢ビル DININGS & STORES」 となり、
『バーニーズ ニューヨーク銀座店』、『赤坂璃宮』などの高級店が入居。
6階から8階は事務所、9・10階は財団法人交詢社となっている。

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保存されたメインエントランスのファサード。
確かにここだけ美しい。

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正面はバーニーズの玄関なので、ドアマンが立っていて撮影しにくい……。

一部だけでも残っているのは幸運な方なのでしょうが、
前の交詢ビルとはくらべようもない。
正面玄関はガラスに囲まれた展示物のように見えます。
そして、この建て替えを行なったのは三井不動産なのですが、
三信ビルの行く末が不安だ。

銀座電通ビル

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1933年(昭和8年)
設計:横河工務所
施工:大林組

「1912年、ルネッサンス式3階建て、赤レンガ造りの初の自社ビルを新築。
1923年の関東大震災により焼失。翌日から2週間、帝国ホテルに部屋を借りて
業務を続けた後、仮社屋住まいが10年続く。
1933年(昭和8)12月、旧社屋跡を拡張し、地上8階、地下2階の
耐震耐火に重点を置いた鉄骨鉄筋コンクリート造りの本社屋が竣工。
窓にはすべてスチールサッシを、1階の入口や窓部にも防火シャッターを採用し、
自動消火の設備を備え、地下に深さ58メートルにも達する井戸が掘られた。
これらの防災の姿勢は、東京大空襲に際しても存分に効果を発し、
電通銀座ビルは、一面焼け野原となった銀座で、
数少ない生き残りの建物の一つとなることができたのです。」
(電通ホームページより抜粋)

その後、1967年に築地本社ビル、2002年に汐留の電通本社ビルを建設
となるわけで、拡大するにつれ美しさがなくなっていく気がする……。

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一見、普通のビルに見えるモダンな造りながら、この入口部分は特徴的。

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正面玄関のレリーフは、広告にゆかりがある奈良東大寺戒壇院の四天王の一つ
広目天を模した彫像と、福徳の女神吉祥天の彫像(畑正吉製作)。
中央は社章の星型。中央の星は初代社長光永星郎の名前の星を形どったもの、
周囲の歯車は近代産業を意味するとか。

2003年3月までは1階に電通ギャラリーがあった。

日証館

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日証館
1928年(昭和3年)
設計:横河工務所
施行:清水組

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戦後、株式取引所がアメリカに占拠されていた時期は
ヤミ取引所として使われていたという日証館。
ベネチアを意識したというアーチが美しい。
昔は反対側の川から見れば、川にかかった橋のように見えたそうだ。

三信ビル

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設立:1929年(昭和4年)
設計:横河工務所(松井貫太郎)
施工:大林組

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2階の回廊より。
この吹き抜けが本当に美しい。

レトロ建物ファンに愛されている三信ビル。私も大好き。
日比谷駅A11番出口がこのビルの地下とつながっていて、
日比谷シャンテの向かいになります。

特に有名なのは内装。
1階から2階まで吹き抜けになったアーケードの美しさは
一度入ったことのある人ならわかるはず。

アーケードには、韓国観光公社、郵船トラベル、サウジアラビア航空、
フランス料理店ラ・プロムナード、喫茶店ニュー・ワールド・サービス、
中古カメラ店ノックス・フォト・サービスなどなど
異国情緒と時間を感じさせる店舗が並んでいます。

2階以上はオフィスビル。
各オフィスの扉も明智探偵事務所みたいな雰囲気があります。
こんなところで働けたら素敵だろうなという気もしますが、
古い建物には古いなりの不便さとかもあるのでしょうね。

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外観。屋上にはタワー。

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日比谷シャンテ方面から見た外観。

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横から見たところ。
丸窓とかあちこちにアーチが取り入れられている。

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丸窓とレトロな入口。
左側にフランス料理店ラ・プロムナード。
お店には外扉から入るようになっています。

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2階回廊に配された鳥の彫刻。

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2階トイレの横にある洗面台。
今では使用できませんがモザイクが洒落てる。

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1階エレベーターホール。
ビルの中央、階段前にあります。

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2階の階段。
手すりの微妙なカーブが素敵です。