迎賓館参観 その1

赤坂離宮こと迎賓館の参観に行ってきました。
この迎賓館参観、5月ごろに内閣府のサイトや新聞に参観のお知らせが発表されて、
往復はがきに参加者(2名まで)と希望日(8月はじめの1週間から第2希望まで選択)
を書いて、応募します。
私は3年前、応募して当選したものの、仕事とぶつかってしまい行けず。
去年は気がついたら応募期間が終わってしまい行けず。
今年こそと、やっと参観できました。
ちなみに、2006年、2007年は改修工事のため参観は実施されません。
というわけで今年は参観できる人数が例年より多めにしていたようです。

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迎賓館に続く並木道。にわか雨が降っていたのですが、ちょうど上がりました。

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正門。こっから入れるわけではないのだ。

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正門からのぞいた前庭。この庭にも入れません。

当選はがきがそのまま参観証になるので、それをもって西門へ。
参観日だけでなく、参観時間も決められていて、それまで待合所で待ちます。
受付では参観証のほか、身分証の提示も必要。
受付がすむと、パンフレットとシールが渡されます。
シールを目立つところにつけたら人数制限にしたがって、本館内部を見学。

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これが参観シール。“五七の桐”の家紋。

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外構図。見学は本館30分、庭30分の約1時間。
西玄関から入って、出口から主庭側へ出て、本館南側をぐるっと回って
前庭側の本館正面へ戻ってくるというコース。

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本館1階。

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本館2階。
参観できるのは彩鸞の間、花鳥の間、朝日の間、中央階段、羽衣の間。
館内は撮影禁止なので、迎賓館写真集をご覧下さい。

アンピール様式(彩鸞の間)とかアンリー2世様式(花鳥の間)とか言われても
正直よくわかんないんですが、まあ絢爛豪華な室内でした。
基本的には立派な洋式なんですが、天井画のモチーフが「羽衣」だったり、
ルネッサンス様式に七宝が飾られていたり、ライオンや軍艦、鎧が描かれていたり、
洋にいかに和を取り入れるかとか、国威発揚の気分とかが感じられます。

人数制限されているので、一緒に見学している人数はそれほど多くないんですが、
のんびり見ていると係員に「後ろの方のために前にお進みください」と言われます。
もうちょっとゆっくり見せてくれたっていいじゃん。
その部屋が実際に使われた外交文書の署名式や共同記者会見の写真などが
ところどころに展示されているので、外交関係の新聞記者になったほうが
室内の写真が撮れるんじゃないかとかバカなことを考えてみる。

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室内見学後、出口から主庭の方へ。

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オレンジのパイプは当然後からつけられたものでしょうが、
なんでこんな目立つ色のパイプなんだろう。

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部分拡大。

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部分拡大。丸いのは地球?

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本館南側。

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主庭。

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庭から眺めた本館南側。イオニア式の柱が2本一組で12対並ぶ構造。

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噴水。

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噴水のモチーフもちょっと変。

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グリフィンはいいとして

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そしてこれは何? 踊る鯉?

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噴水と本館。

まだ続きます。その2へ。


迎賓館参観 その2

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主庭から見た本館南側。記念撮影する人が多いのはしょうがないですが、
ベランダの女の子たちが交代で写真を撮っていて超じゃま。

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執念で撮った無人ショット。
庭に続く階段のカーブが素敵です。

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イオニア式はうずまきが2つだと思っていたんですが、これは4つ。

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1階には主席随員用スィートがあり、ガラス越しに見学できます(これも撮影禁止)。
暖炉やベッドサイドの雰囲気がクラシカルなホテルという感じでした。

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わかりにくいですがペディメントには桐紋が刻まれています。
角のところで柱のうずまきが重なっている感じがうまい。

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なぜか小さな松が展示されていました。
2階のベランダ部分は歩けるんでしょうか。

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微妙なカーブを描くひさし(?)

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アーチの部分のラインが素敵です。

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前庭から見た本館正面。

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柱に囲まれた扉。

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扉にはやっぱり桐紋。

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柱の彫刻。バイオリンとパレットのモチーフは室内にもありました。
芸術の象徴?

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きれいなカーブを描く両翼。

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正面全景。
左右両翼が湾曲して前方に張り出している構成は
ネオ・バロック様式の特徴なんだそうだ。

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正面。国旗がなんとなく浮いている?

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屋根の装飾。天球儀と霊鳥。

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屋根の装飾。いきなり甲冑。

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いつもは逆から見ている松の庭を門ごしにのぞく。

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今回の入口として使われた西玄関。
東宮御所時代は1階西半分が妃殿下の私室だったので
妃殿下用の玄関だったらしい。

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玄関のひさし(?)部分。貝を広げたような優雅なカーブ。

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ペディメントにはやっぱり桐紋。

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私の見学時間は3時30分~4時30分でしたが、
最終日の最後の見学時間だったため、
見学終了の放送が流れてきました。
また、見にきたいです。

以下、パンフレットより迎賓館の沿革を抜粋。
紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地の一部に
1909年(明治42年)、東宮御所として建設。
地上2階、地下1階の鉄骨補強煉瓦造り。
ジョサイア・コンドルの直弟子、片山東熊が総指揮をとり
明治32年に着工、約10年の歳月をかけて完成した
日本唯一のネオ・バロック様式の洋風建築。

東宮御所として完成したものの、皇太子(後の大正天皇)はここに住むことなく
1911年(明治45年)、明治天皇が崩御すると
大正天皇は青山離宮を御座所とし、
1913年(大正2年)宮城に遷幸されたのにともない、東宮御所は赤坂離宮と呼ばれる。
その後、昭和天皇が摂政宮だった時代に、
1923年(大正12年)の関東大震災の際と、成婚後、東宮仮御所として
1928年(昭和3年)まで住居として利用。
迎賓施設としては大正天皇と李王殿下の会食、満州国溥儀皇帝陛下の宿泊など
限られた利用のみだった。

戦後、敷地とともに皇室から行政へ移管。
国会図書館(1948年(昭和23年)~1961年(昭和36年))、
法務庁法制意見局(1948年(昭和23年)~1960年(昭和35年))、
裁判官弾劾裁判所(1948年(昭和23年)~1970年(昭和45年))、
憲法調査会(1956年(昭和31年)~1960年(昭和35年))、
東京オリンピック組織委員会(1961年(昭和36年)~1965年(昭和40年))に使用。

1967年(昭和42年)、旧赤坂離宮を改修して迎賓館として利用することが決定。
1968年(昭和43年)より建設省官庁営繕部の設計監督のもと、
村野藤吾の設計協力により本館の改修工事が行なわれ、
谷口吉郎の設計により和風別館を新設。
1974年(昭和49年)、改修が終了。

迎賓館施設として30年間に計252回の賓客接遇を実施。
近年ではエリツィン大統領(1993年)、シラク大統領(1996年)、
江沢民国家主席(1998年)、ノムヒョン大統領(2003年)を国賓として迎え
先進国首脳会議(1993年)、日本・東南アジア諸国連合特別首脳会議(2003年)
などの会場として使用されている。


赤坂離宮

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迎賓館(赤坂離宮)
設立:1909年(明治42年)
設計:片山東熊、東宮御所御造営局
(1974年、村野藤吾により改修)

ファッション雑誌のロケ場所として載っていたのを見て
一度は行って見なくちゃと思っていた赤坂離宮です。

ホテルオークラで取材があったので、
帰りに紀尾井坂を通って四ッ谷方面に出ると、突然、この別世界が現われました。
四ッ谷の道を曲がったらヨーロッパみたいな。
ただ、この建物だけでなく、前の公園や並木道、
ここらへん一帯が別世界なので、それほど違和感はないかも。

大正天皇の皇太子時代の新居として建てられ、
東宮御所、仮皇居、離宮と変遷をくりかえし、現在では迎賓館として使われています。
迎賓館なので当然、簡単に中に入れるわけもなく
正面の門は閉ざされ、常時、警備員がいます。
鉄柵の間から写真を撮っていたら、ジロジロ見られました。

よくいわれる「ベルサイユ宮殿を模倣した」
というのは単なる通説で、フランス系バロック様式でも
ウィーン王立劇場、フランス海軍省、ルーブル宮殿などがモデルだとか。
まあ、でもこの建物を見たら、「あー、ベルサイユ」って思っちゃう気持ちもよくわかる。
東京にこんなヨーロッパ建築を建てちゃうなんて、
明治ってのはある意味、幸せな時代ですね。

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門から建物まではとっても遠い。
ヨーロッパ建築の前庭に松ってとこがすごい。

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門もとってもゴージャス。
左隅に写っているのは、衛兵のための哨舎だとか。

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道をはさんだところにある公園。こっちもちょっとヨーロッパ風。

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離宮まで続く並木道。デートスポットらしくカップルが散歩してました。
前に止まっているじゃまな車は警備カー。