旧李王家邸

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旧李王家邸(赤坂プリンスホテル旧館)
設立:1930年(昭和5年)
設計:権藤要吉(宮内省内匠寮)

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入口部分の上にあるランプの形もゴシック(?)でかっこいい。
バックに見えるのは赤坂プリンスホテル新館。

赤坂プリンスホテル(新館)の裏手にある旧館。
2階にフランス料理店「トリアノン」、1階にバー「ナポレオン」
(どちらもすごいネーミング)があり、
現在では宴会などに使われているらしいです。
私が見に行った日曜日にはウェディングチャペルとして
結婚式が行なわれていました。

元は韓国の李王家の東京邸。
以下、歴史の概略。

1907年(明治40年)、李王家の皇太子、垠(ウン)は11歳にして日本に留学。
当時の日韓の状況を考えると、つまりは人質でした。
1910年(明治43年)、韓国併合。
これにより、李王家は日本の皇室に組み込まれ、
皇族と同等の扱いを受けることになります。
1920年(大正9年)、李垠、梨本宮方子(なしもとのみや・まさこ)と結婚。
梨本宮方子は昭和天皇の后候補でもあった人で、
日韓の関係を保つための政略結婚でした。
1922年(大正11年)、長男が誕生するも、数ヶ月後、訪問先の朝鮮で不審死。
1931年(昭和6年)、次男誕生。
1945年(昭和20年)、日本敗戦。
李王家は皇族の身分を奪われ、以後、苦しい生活が続く。
1963年(昭和38年)、やっと帰国が許されて大韓民国へ戻る。
1970年(昭和45年)、帰国当時から寝たきりだった李垠、死去。
方子はその後も韓国で障害児教育など慈善事業に力を尽くし、
1989年(平成元年)、87歳で亡くなりました。
彼女が晩年を過ごした昌徳宮の楽善斎は
韓国の観光名所のひとつになっています。

ネットでひろってきた話を集めたものなので、
勘違いしているところもあるかもしれません。
“日韓の架け橋”とか“歴史に翻弄された悲劇の妃”とか
多少、作られた美談っぽい気もしますが、
方子さんが波乱の人生を一生懸命生きた女性だったことは確かなようです。

1930年に建てられたこの家で過ごした日々は
比較的幸せな時期だったんだろうかと考えてみたりしました。

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側面に回ってみたところ。

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側面の門の前に座っている像。
韓国と関係あるのかな。

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窓の造りとか非常にかわいい。

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花形のくり抜きとかもかわいい。

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排水溝(?)。細かいところまで意匠が行き届いている感じ。

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新館のロビーに飾ってあった模型。

赤坂プリンスホテル

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赤坂プリンスホテル(新館)
設立:1982年
設計:丹下健三・都市・建築設計研究所
施工:鹿島建設、西武建設

東京都庁やパークタワーで有名な丹下健三の作品。
80年代という建てられた時代もあるかもしれないけれど、
“モダン”の感覚がちゃんと形になっている建物。
ガラスの墓標のように見える都庁よりもずっと好きです。

水晶の柱をモチーフにしてるとのことで
言われてみればそんな気もします。

全体がジグザグの扇形になっているため、
ひとつひとつの部屋がすべて“角部屋”になり、
大きな窓から眺望が楽しめるようになっているとかで、
ホテルということを考えると、このデザインはかなり実用的じゃないでしょうか。

ホテルの営業自体は1950年に始まっています。
戦後は華族などが没落して、それまで住んでいた土地や屋敷を売り払い、
跡地が宿や料亭に使われることが結構あったみたいですが、
旧館が李王家の建物だということを考えると、
ここにもそういう歴史があるのかもしれません。

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ジグザグの扇形。
客室からは2方向が眺められる造り。

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ホテルの入口から続く桜並木。手前は弁慶橋。

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ホテル入口。

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弁慶堀。