神田明神

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神田明神
1934年(昭和9年)
設計:大江新太郎、佐藤功一
施工:木田組

初詣をかねて神田明神に行ってきました。
「730年(天平2年)創建。
創建当時は現在の千代田区大手町にありましたが、
天慶の乱(939~940年)に敗れた平将門公の首が付近に葬られると
天変地異の怪異が続き、1309年(延慶2年)には将門公を祭神として合祀。
1616年(元和2年)には江戸城の表鬼門にあたる現在地に移転。
1923年(大正12年)の関東大震災により社殿はじめ社宝を焼失。
1934年(昭和9年)、当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート造り
総漆朱塗り権現造の社殿が造営。
小屋組を鉄骨にして荷重を軽減、
柱間を少し狭めるなどして木造建築の姿に近づけ、
鉄骨鉄筋コンクリート造ということを感じさせない工夫が施されている。
1995年、御造替事業を開始、社殿ほか建物全てを美しく塗り替える。
2003年、国の登録文化財に指定。」
以上、神田明神公式サイトより抜粋。

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獅子山
関東大震災で崩壊したが、
1990年、天皇即位を記念して、当時の錦絵をもとに再建。
親獅子は文久2年作のものらしいが、一番上のが親?

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だいこく様尊像
神田明神にはだいこく様、えびす様、平将門の三柱の神様が祀られている。
一ノ宮の大己貴命(オオナムチノミコト)。
1976年完成。高さ6,6m、重さ約30トン。
手前の丸い輪を決められた順に3度回ってお参りする。

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えびす様尊像
神田明神の二ノ宮、少彦名命(すくなひこなのみこと)。
去年はなかったはず、と思ったら2005年制作。

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「海の仲間(イルカやタイやトビウオ)に守られて
大海原を渡られるお姿」だそうです。ちょっとトリトン。

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正面が御神殿。左側の鳳凰殿は2005年完成。

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隨神門
関東大震災で焼失してから50年後、
1975年に昭和天皇即位50年を記念して建立。

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神田明神といえば甘酒。こちらは三河屋さん。
徳川幕府の御用商人として、
三河(愛知県)より江戸に来て、1616年(元和2年)に創業。

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こちらは1846年(弘化3年)創業の天野屋さん。
店の地下6mのところに天然の室があり、
そこで作られる糀を使っているそうだ。

湯島聖堂

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湯島聖堂
1935年
設計:伊東忠太
施工:大林組、松井組

にぎやかな神田明神にくらべて、ひっそりとしている湯島聖堂。
「1690年(元禄3年)、五代将軍綱吉が儒学の振興を図るため、聖堂を創建。
1797年(寛政9年)、幕府直轄学校として、昌平坂学問所を開設。
1872年(明治5年)に東京師範学校、1874年(明治7年)に東京女子師範学校を設置
その後、両校は筑波大学、お茶の水女子大学となる。
(なので、現在はお茶の水にないのにお茶の水女子大学という)
1922年(大正11年)、国の史跡に指定されるも、
翌1923年、関東大震災により、入徳門と水屋を残し、すべて焼失。
1935年(昭和10年)、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建。
1986年~1993年、文化庁による保存修理工事が行なわれた。」
以上、史跡湯島聖堂,財団法人斯文会のホームページより抜粋。

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湯島聖堂と言えば、これ! 鬼龍子(きりゅうし)と鬼犾頭(きぎんとう)。
去年のお正月、屋根の上の彼らを見たとき、
その異様な雰囲気に圧倒され、
一気に伊東忠太という建築家に興味を持ちました。

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わかりにくいけどアップ。

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大成殿内では関東大震災のときに焼け落ちた
寛政年間の作の鬼龍子くんたちが公開されているのですが、
それと比べると、忠太版の方がずっと恐い。

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大成殿
平日は公開されていないので、たいていシーンとしている。
年始なので、それでもお参りにくる人は何人かいたけれど、
簡単に無人ショットが撮れる。

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鉄筋コンクリート造だが、設計は中国風。

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元の聖堂がどんなものだったのかわからないが、
鉄で黒なので、独特の威圧感。

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柱や軒が特徴的だが、忠太はあまり変なことはせず、
基本的には復元に徹したらしい。
学問発祥の地なので、合格祈願の絵馬が並ぶ。

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杏壇門
湯島聖堂には独特の雰囲気がある。
最初に来たとき、異空間に迷い込んだような気がした。
それは黒い鉄の建物が放つ、威圧感のせいでもあるのだけど、
決して拒否されてるような感じでもない。
かといって、迎え入れるような優しさでもなく、
荘厳というのとも、ちょっと違う。
と考えていたら、参拝にきた人が
「ここはいつもがらんとしている」と言っていた。
その言葉で、そうか、ここにあるのは一種の虚無なんだと思った。

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聖堂内を歩いていると突如、現われる孔子像
写真ではわかりにくいけど、4.5mもあるので、
畏敬の念に打たれるというより、ぎょっとする。
1975年、台北ライオンズクラブより贈られたもの。

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聖橋
1929年
設計:山田守
湯島聖堂とニコライ堂を結ぶので“聖橋”。

あの日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽だまりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす
食べかけの檸檬聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
さだまさし『檸檬』

 
昔、この歌の聖橋を勝手に長崎の橋だろうと思っていた。
(さだまさしだから?)
ここだったのね。


外堀通り

神田明神湯島聖堂を見た後は
御茶ノ水から水道橋まで外堀通り沿いに歩きました。

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聖橋。でかいのは駅ビル、サンクレール。
左奥にニコライ堂が見える。

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東京医科歯科大の外来中央診療棟および中央診療研究棟。
なんてことのない建物だが、最近こういうのにひかれる。

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東京医科歯科大は1930年(昭和5年)に
東京女子高等師範学校跡地であるここに移ってきたらしいが、
この建物がいつのものかはよくわからなかった。

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センチュリータワー
1991年
設計:フォスターアソシエイツ、大林組
施工:大林組
地下2階 地上21階 塔屋2階

この辺は高い建物がないのでひときわ目立つセンチュリタワー。
イギリスの建築家ノーマン・フォスターが設計。
(最近では世界で一番高い橋をフランスに建設して話題になった)

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かなり変わった構造らしいのだが、
個人的にはあまり好きになれない。

地下に日本の書跡を展示する『センチュリーミュージアム』が
あったが、移転準備のため閉鎖中。

住友不動産とビルオーナーのセンチュリータワー株式会社が
サブリース賃料減額訴訟で争っていたが、2005年12月和解。

新旧の建築家が主役のドラマ『協奏曲』では
田村正和演じる海老沢がデザインしたオクトーバービルとして登場。
などなど、バブルの名残が感じられる建物。

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センチュリータワーの足元にひっそりと立つ看板建築。
看板は“原紙画店”のように読めるがはっきりしない。

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お堀と線路をはさんだ向こう側にアテネフランセが見える。

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赤い壁がひときわめだつ聖母美術院
2階にアテネ書房。

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こちらも気になる元町公園
震災復興公園のひとつとして設置されたものらしい。

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昭和第一高等学校
これが見たくてここまで歩いてきました。
映画『麦秋』では対岸の坂から見た昭和第一高等学校が写っていて
その後、すぐにニコライ堂の近くにある喫茶店に場面が移るのですが、
普通に歩くと2、30分はかかります。
でも、歩いてみてわかりましたが、この外堀通り沿いの歩道は
なかなか楽しい散歩向きの通りでした。


研数学館

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研数学館
1929年(昭和4年)
施工:清水組

1897年(明治30年)に開校した日本最古の予備校。
2000年に研数学館が予備校事業から撤退。
その後、一部は大正大学神田校舎として利用されていたが、
2005年1月、大正大学も巣鴨校舎へと移転。
現在、一部は居酒屋、和民になっている。

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法人としての研数学館は存続中で、
建物自体もまだ使われているようです。

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建物が残っているだけマシといえばマシだけど、
この「和民」はどうなのか。
元生徒だった人は複雑な気分でしょうね。

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夜間の撮影なので、ノイズものってブレてますが、
大正大学神田校舎として使われていたころ(2004年11月撮影)。


西神田カトリック教会

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設計:宮内初太郎
竣工:1927年(昭和2年)

無骨な感じがまた素敵な教会。
しかし、暗かったので、
(露出のせいで写真は明るめですが、実物は真っ暗だった)
ちょっと見るだけ。


アテネフランセ

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設計:吉阪隆正+U研究室
竣工:1962年

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もう暗かったせいか、紫の壁にもそれほど驚かない。
今見ると、ルイ・ヴィトンみたいだ。

文化学院本館

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設計:西村伊作
竣工:1936年(昭和11年)

1921年(大正10年)、与謝野寛、晶子夫妻らの協力を得て、
西村伊作が文化学院を創立。
最初の校舎はイギリスのコテージ風だったそう。
中学部では、日本で最初の男女共学を行なった。
1943年、「日本の国是に あわぬ」との理由で文化学院閉鎖。
校長の西村伊作は戦争反対と不敬罪の理由で検挙、拘置。
1946年、終戦と共に軍に徴用されていた校舎が戻り、再開。

西村伊作は独学で建築を学んだそうですが
大正時代に、居間を中心にした住宅を提唱するなど
ずいぶん進歩的な人だったみたいですね。

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このアーチと蔦が超ラブリー。

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絵本(といっても恐い話)に出てきそうなドア。

ニコライ堂

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ニコライ堂
(日本ハリストス正教会東京復活大聖堂)

原設計:ミハイル・シチュールポフ
設計:ジョサイア・コンドル
竣工:1891年(明治24年)

ロシア工科大学教授ミハイル・シチュールポフが設計図を作成。
ジョサイア・コンドルが一部を修正し、工事を監督ということらしいです。
1923年(大正12年)、関東大震災で上部が倒壊、岡田信一郎によって改修、
1929年(昭和4年)に復興。(だから「復活」大聖堂とよぶらしい)
日本では数少ないビザンチン様式建築。
1983年、国の重要文化財に指定。

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ニコライ堂のとなりにある日本ハリストス正教会の建物。

アカデミーコモン

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設計:久米設計
施工:鹿島建設、鴻池建設
竣工:2004年
地上11階、地下2階、塔屋1階

5号館、6号館、7号館、13号館を解体して建てられた明治大学の生涯教育棟。
社会人向け教育を行なうリバティ・アカデミーのほか、
大学院ビジネススクール、法科大学院、博物館展示室、大ホールがある。
壁のオブジェは、脇田愛二郎のインタラクション・ウォール。

カフェテリアの名前が「カフェパンセ」(笑)

東京YWCA本館

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設計:香山壽夫/環境造形研究所
竣工:1990年
地上8階、塔屋1階、地下2階

こちらも、ヴォーゲル設計の旧会館を取り壊し、新たに建設。
しかし、こちらも東京YWCAの負債により売却が決まっている。
負債58億は、この「本館ビル総工費90億円の借り入れ分
60億円の返済困難によるもの」だそうです。

※「負債により売却が決まっている」のは東京YMCAであり、
東京YWCAではありませんでした。
名前が似ていることはもとより、旧館がすばらしい近代建築であったこと、
東京YMCAの新館が1992年に建設されていること、
同じく神田(東京YMCAは神田美土代町、東京YWCAは神田駿河台)であること、
などにより混同いたしました。
誤った情報でご迷惑をおかけして申し訳ありません。

前に見える駐車場がおそらくお茶の水スクエアB館、C館跡。

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