西銀座ビル

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西銀座ビル
1936年(昭和11年)

建築仲間えもやんから「銀座に解体されるビルがある」
と聞いて見に行った西銀座ビル。
この辺はよく歩いているはずなのに今まで気がつかなかったのは
1階は普通の店舗になっているからなのか。
2006年2月解体予定。

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茶色の部分はスクラッチタイル。

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1階は化粧品店オージオ。
不思議なアンバランスを生み出しているチャン・ドンゴンのポスター。
解体の発注者もオージオ、解体後はオージオ銀座ビルが新築される。

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こちらは昼に撮影。

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“GIN MORUTO”の看板が渋い。


新田ビル

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新田ビル
1930年(昭和5年)
設計:木子七郎

2005年4月に取り壊しが決定している新田ビル。
かつては屋上に塔屋があったが、1980年に向かいに高速道路が開通、
大気汚染などにより崩落の危険があるとして1985年撤去された。
新田ビルの歴史については、かつてのテナントである
東部工業用ゴム製品卸商業組合によって特設サイトが設けられている。
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ニッタ、新田ゼラチン、ニッタクス、松山大学の看板が並ぶ。
ニッタは伝動用革ベルトの製造にはじまる、伝動・搬送用製品メーカー。
新田ゼラチンは写真用、医療用、食用、工業用ゼラチンなどの製造販売、
ニッタクスは合板および積層強化木などの製造販売を行なっている。
松山大学はなんの施設があるのかわかりませんでしたが、
設計者、木子七郎の妻かつ子の実家は松山で、
義父である新田長次郎は松山大学の前身、松山高等商業学校を創設しています。
木子は愛媛を中心に新田家関連の建築の多くを手がけています。
(当然ながらニッタの創業者は新田長次郎。
簡単に言うと娘婿に自社ビルを作らせたってこと?)

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高速に面した通り側。アーチが美しい。

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正面のレリーフ。

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横から見たところ(上部分)。

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同じく横から見たところ(下部分)。

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裏手にある入口。

銀座電通ビル

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1933年(昭和8年)
設計:横河工務所
施工:大林組

「1912年、ルネッサンス式3階建て、赤レンガ造りの初の自社ビルを新築。
1923年の関東大震災により焼失。翌日から2週間、帝国ホテルに部屋を借りて
業務を続けた後、仮社屋住まいが10年続く。
1933年(昭和8)12月、旧社屋跡を拡張し、地上8階、地下2階の
耐震耐火に重点を置いた鉄骨鉄筋コンクリート造りの本社屋が竣工。
窓にはすべてスチールサッシを、1階の入口や窓部にも防火シャッターを採用し、
自動消火の設備を備え、地下に深さ58メートルにも達する井戸が掘られた。
これらの防災の姿勢は、東京大空襲に際しても存分に効果を発し、
電通銀座ビルは、一面焼け野原となった銀座で、
数少ない生き残りの建物の一つとなることができたのです。」
(電通ホームページより抜粋)

その後、1967年に築地本社ビル、2002年に汐留の電通本社ビルを建設
となるわけで、拡大するにつれ美しさがなくなっていく気がする……。

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一見、普通のビルに見えるモダンな造りながら、この入口部分は特徴的。

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正面玄関のレリーフは、広告にゆかりがある奈良東大寺戒壇院の四天王の一つ
広目天を模した彫像と、福徳の女神吉祥天の彫像(畑正吉製作)。
中央は社章の星型。中央の星は初代社長光永星郎の名前の星を形どったもの、
周囲の歯車は近代産業を意味するとか。

2003年3月までは1階に電通ギャラリーがあった。

交詢社通り

銀座6、7丁目の、かつて交詢社ビル(現在は改築)があったあたりは
今も交詢社通りと呼ばれていますが、レトロビルの宝庫。
50年くらい前に歩いてみたかった。

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いすゞビル
銀座電通ビルの向かいにあるいすゞビル。
1階はギャラリー、2階は歯科。
となりのマルゲンと並んでいい感じのコーナーになってます。

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海洋ビル
2階は名物店「焼鳥明珍」。


秀吉ビル

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設計:三沢良三
竣工:1928年竣工

銀座を歩いているときに偶然見かけたレトロビル。
渋い外観から、歴史のある近代建築だと思われるのに
空きビルになっているのが気になりました。
調べたら老朽化のため、2004年7月に閉鎖されたそうです。

残っていた「銀座マネキン」の看板が気になったのですが
調べてみたら、なんのことはない人材派遣会社でした。
なんか素敵な響きなのだ「銀座マネキン」。

1階は老舗のドイツ料理店「ケテル」。
料理ガイドにも載っている有名なお店らしいですが、
どこかに移転したのかしら?
そのほかフェティッシュバー(妖しげだ)とか歯医者とか
ギャラリーとかのテナントが入っていたようです。
(ギャラリーは移転のお知らせが入口に貼ってあった)

ぼーっとしてると銀座の近代建築は
どんどんなくなっちゃうな。

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気になる「銀座マネキン」の看板。
左側の黒い建物はカルティエ。

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「ケテル」の看板を不思議そうに見上げるおばさん。

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いかにもボロで美しくない5、6階はあとから増築した部分らしい。
元のビルはこんな感じ?

和光

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和光(旧服部時計店)
設立:1932年(昭和7年)
設計:渡辺仁
施行:清水組

銀座は今でも古い建物がいくつか残っていますが、白眉はやっぱり和光。
四丁目の交差点でこの建物を見上げると、いつでもなんだかほっとします。

1894年(明治27年)、朝野新聞の社屋を服部時計店(現・セイコー)が買い取り、
初代時計塔として改築。
1923年(大正12年)、新ビル建設中に関東大震災が起こり、
数年後、構造を鉄筋コンクリート、外壁はテラコッタから御影石へと変更して工事再開。
1932年(昭和7年)、当時の高さ制限を使いきった100尺(約30.3m)の建物が完成。
戦後はGHQ向けのデパートとして使用され、
1952年(昭和27年)、服部時計店の小売部門が独立して和光となる。
……と、歴史を見つめてきた建物であります。

『未来の想い出』という映画で、過去へとタイムスリップしてしまう
2人の女性(工藤静香と清水美砂)が、
「今度、タイムスリップしたら和光の前で再会しましょう」
と約束する場面があるのですが、
和光って、過去への時間旅行という設定によく似合う場所であり、
「なにがあっても和光なら絶対あそこにあるだろう」という場所な気がします。

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時計塔。もともとのデザインはローマ数字だったとか。
ローマ数字の方がかっこいいけど、
やっぱりアラビア数字の方が読みやすいからかしら。

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ガス燈通りから見上げたところ。
ここらへんがネオ・ルネッサンス様式な感じ?

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ガス燈通り側の入口。

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晴海通りを挟んで反対側から見たところ。
どっから見ても絵になるのはさすが。
しかし、銀座って人と車が多くて撮影しづらい。


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和光のレリーフ。
左から、貴金属を示す銀カップ、服部時計店の商号

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商業の神ヘルメスを表わす蛇と杖、
同じく服部時計店の商号(2541の数字はなんの意味?)

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砂時計、転鏡儀(天秤みたいなもの?)