生駒ビルヂング
生駒ビルヂング
1930年(昭和5年)
設計:宗建築事務所 宗兵蔵
(原案:大倉三郎 実施設計:脇永一雄とも言われる)
施工:大林組
登録有形文化財、大阪市指定景観形成物
スクラッチタイルとテラコッタを活用したアールデコ調のビル。
屋上の時計塔と出窓(3~5階)丸窓(2階)が、
巨大な振り子時計のデザインとなっている。
1870年(明治3年)、高麗橋5丁目(現在の御堂筋淀屋橋)に
大阪屋権七が「大権堂・生駒商店」を創業。
昭和初期の御堂筋・淀屋橋筋の拡張に伴って現在地に移転。
1930年(昭和5年)、総工費15万円をかけ生駒ビルヂングを建設。
昭和20年3月の大阪大空襲により、周辺は焼野原となったが、
堅牢なコンクリート壁と各開口部の防火扉によって戦災を免れた。
1982年、保守が困難になったことから、エレベーターを入れ替え。
1983年、外壁のテラコッタの一部が落下したことを契機に、
外壁剥離防止及び鉄製窓枠を全てアルミサッシに替える大改修を行なう。
1995年、阪神大震災の際も、直径6寸5分の松丸太を493本基礎杭として
打ち込んだ工法のためか、ほとんど被害がなかった。
1997年、文化庁の登録有形文化財に指定。
(生駒時計店より引用。)
生駒時計店のサイトを見ても、何度も補修工事を行ない、
ていねいに使われてきたという印象のある生駒ビルヂングですが、
私が訪ねたときはすでに生駒時計店ではありませんでした。
ドアマンがいるので、写真もちょっと撮りづらい雰囲気。
1階は美容院か何かかと思っていたら、『CENTRAL BANCO』という
イタリアンバールだそうです。
建物を残したいというオーナーの意向により、
2002年9月に28室のスモールオフィスに改装。
現在は、「コンシェルジュオフィス北浜T4B」として活用されている。
(日本都市計画学会 関西支部だより 2003年1月号を参照。)
上記の「日本都市計画学会 関西支部だより」によると、
ここで使われているのはSPCという仕組みだそうで、
SPCがいまひとつ理解できないんですが、
要は建物のオーナーはそのままで、建物を不動産として貸し出し、
その賃料で補修工事などの費用をまかなうというものらしいです。
(おおざっぱな理解なので、多少まちがってるかも)
生駒ビルヂングに生駒時計店がないのは寂しいですが、
近代建築を残して有効活用するための方法としてはアリだと思います。
わかりにくいですが、タイルや変な彫刻がいい感じです。
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