湯島聖堂
湯島聖堂
1935年
設計:伊東忠太
施工:大林組、松井組
にぎやかな神田明神にくらべて、ひっそりとしている湯島聖堂。
「1690年(元禄3年)、五代将軍綱吉が儒学の振興を図るため、聖堂を創建。
1797年(寛政9年)、幕府直轄学校として、昌平坂学問所を開設。
1872年(明治5年)に東京師範学校、1874年(明治7年)に東京女子師範学校を設置
その後、両校は筑波大学、お茶の水女子大学となる。
(なので、現在はお茶の水にないのにお茶の水女子大学という)
1922年(大正11年)、国の史跡に指定されるも、
翌1923年、関東大震災により、入徳門と水屋を残し、すべて焼失。
1935年(昭和10年)、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建。
1986年~1993年、文化庁による保存修理工事が行なわれた。」
以上、史跡湯島聖堂,財団法人斯文会のホームページより抜粋。
湯島聖堂と言えば、これ! 鬼龍子(きりゅうし)と鬼犾頭(きぎんとう)。
去年のお正月、屋根の上の彼らを見たとき、
その異様な雰囲気に圧倒され、
一気に伊東忠太という建築家に興味を持ちました。
わかりにくいけどアップ。
大成殿内では関東大震災のときに焼け落ちた
寛政年間の作の鬼龍子くんたちが公開されているのですが、
それと比べると、忠太版の方がずっと恐い。
大成殿
平日は公開されていないので、たいていシーンとしている。
年始なので、それでもお参りにくる人は何人かいたけれど、
簡単に無人ショットが撮れる。
鉄筋コンクリート造だが、設計は中国風。
元の聖堂がどんなものだったのかわからないが、
鉄で黒なので、独特の威圧感。
柱や軒が特徴的だが、忠太はあまり変なことはせず、
基本的には復元に徹したらしい。
学問発祥の地なので、合格祈願の絵馬が並ぶ。
杏壇門
湯島聖堂には独特の雰囲気がある。
最初に来たとき、異空間に迷い込んだような気がした。
それは黒い鉄の建物が放つ、威圧感のせいでもあるのだけど、
決して拒否されてるような感じでもない。
かといって、迎え入れるような優しさでもなく、
荘厳というのとも、ちょっと違う。
と考えていたら、参拝にきた人が
「ここはいつもがらんとしている」と言っていた。
その言葉で、そうか、ここにあるのは一種の虚無なんだと思った。
聖堂内を歩いていると突如、現われる孔子像。
写真ではわかりにくいけど、4.5mもあるので、
畏敬の念に打たれるというより、ぎょっとする。
1975年、台北ライオンズクラブより贈られたもの。
聖橋
1929年
設計:山田守
湯島聖堂とニコライ堂を結ぶので“聖橋”。
あの日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽だまりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす
食べかけの檸檬聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
さだまさし『檸檬』
昔、この歌の聖橋を勝手に長崎の橋だろうと思っていた。
(さだまさしだから?)
ここだったのね。
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