日比谷通り
天気が良かったのでお堀沿いに日比谷から大手町まで歩いてみました。
この辺にはいい意味でも悪い意味でも昔の面影が残っています。
左からDNタワー21、丸の内警察署、大正生命日比谷ビル。
大正生命日比谷ビルの隣にあった日比谷パークビルは現在建て替え工事中。
日比谷パークビルと聞いてピンとこなくても、
「アメリカンファーマシー」を覚えている人は多いはず。
1階にあったアメリカンファーマシーは丸ビルに移転しました。
※日比谷パークビル
1952年(昭和27年)3月、日活国際会館として完成。
潜函工法という当時最先端の工法が使われている。
鉄骨鉄筋コンクリート造地下4階地上9階建て延べ4万8400平方メートル。
上層部は日活ホテル、1960年には石原裕次郎の結婚式も行なわれた。
日活が倒産し、1970年、三菱地所の所有となり、オフィスビルに。
2003年8月解体。
2007年、ザ・ペニンシュラ東京がオープン予定。
※潜函工法
「あらかじめ地上に作った構築物をその下部の土を掘り取って、
構築物の重量で地中に沈ませ所定の地中深度に設置する工法」
日比谷日活国際会館の潜函工事より
DNタワー21(第一・農中ビル)
新館:1993年10月 本館:1995年9月
設計:清水建設、
ケビン・ローチ ジョン・ディンケルー アンド アソシエーツ アーキテクツ
第一生命館と農林中央金庫、ひとつの街区に建っていた2つの建物を一体化して
再構築するというめずらしい保存方法がとられていますが、比較的成功した例。
前面が第一生命館の北側外壁、裏側に農林中央金庫の外壁の柱頭と柱脚を復元、
後ろの高層ビルが増築部分。
第一生命館と農林中央金庫の頭文字をとってDNタワーと
名づけられたそうですが、21は何?
農林中央金庫側。
なんとなく間抜けな感じもするイオニア式柱頭。
DNタワー21入口。左に第一生命、右側に農林中央金庫の札。
※第一生命館
1938年(昭和13年)
設計:渡辺仁、松本与作
GHQ総司令部が置かれたことで有名。
マッカーサー元帥の執務室は、現在も記念室として保存されている。
※農林中央金庫
1933年(昭和8年)
設計:渡辺仁
お堀から見たところ。綺麗にラインが並ぶ。
目の前のお堀。
帝国劇場
1966年(昭和41年)
設計:谷口吉郎
※旧帝国劇場
1911年(明治44年)
設計:横河民輔
ルネッサンス様式でつくられた日本初の西洋劇場。
1923年、関東大震災によって外郭を残して焼け落ちる。
その後、改修が繰り返され、1966年、谷口吉郎の設計により建て替えられる。
三菱地所設計による国際ビルと共同ビルの内部に劇場が設けられている。
谷口吉郎は、関東大震災により、丸ビル、三越、帝国劇場が倒壊したことに
強いショックを受け、建築の意義を意識するきっかけとなり、
建築家を志すようになったと自書に書いているそうです。
そして自分が建て替えるようになるとは、なんでも志してみるもんだ。
東京會舘
1971年
ホームページのラウンジの説明に
「ランチや会合・待ち合わせ・二次会・お見合いのお席など、
幅広い用途にお使いいただけます。」とあって笑った。お見合いのお席。
※旧東京會舘
1922年(大正11年)
設計:清水組、田辺淳吉、草間市太郎
鉄骨煉瓦造り、セセッション式、ルネッサンス様式。
東京商工会議所
明治生命館
1934年(昭和9年)
設計:岡田信一郎
1997年、重要文化財
2004年9月より、リニューアル工事中。
※2005年9月、リニューアル完了。くわしくはこちら。
丸の内三井ビル
1981年
三菱商事丸の内新オフィスビル
現在建設中。2006年春竣工予定。
大手町・丸の内・有楽町再開発マップ参照。
※三菱1号館
1894年(明治27年)
設計:コンドル
現在の三菱商事ビル(ってここ?)の位置にあった煉瓦造りの建物。
馬場先通りのあたりは“一丁ロンドン”と呼ばれた。
郵船ビル
1978年
設計:三菱地所
※旧郵船ビル
1923年(大正12年)
設計:曾禰中條事務所
ルネッサンス式テラコッタ張りの外観。
旧丸ビル(1923年)、旧東京海上ビル(1917年)と並んだこのあたりは
“一丁ニューヨーク”と呼ばれた。
郵船ビルの前にある像。意味は不明。
日比谷通り その2に続く。
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