日本生命日比谷ビル
日本生命日比谷ビル
1963年(昭和38年)
設計:村野藤吾(村野・森建築事務所)
施工:大林組
地上8階・地下5階
日本生命保険相互会社が村野藤吾を迎えて建設。
内部に日生劇場がある。
「淡紅色の万成石による重厚な外装、その壁面のバルコニーのように
へこんだオリエント風の窓と黒の紋様の手摺があり、
劇場へ至る足元には長谷川路可氏による大理石モザイクが続きます。」
『日生劇場』の劇場案内より
「一つのビルの中に生保会社のオフィスと
座席数1330の本格的な劇場を同居させるという試みは、
それが、純粋に一民間企業の事業であるという点において、
当時の人々の耳目を驚かせるに足る出来事だったろう。
建設計画の原点は、首都・東京に建設する自社ビルを単なる営業拠点にとどめず、
日本の芸術・文化発展への一灯としようという理想であり、
モノだけではない心の豊かさを提供しようという高い志であった。
日本生命社長の弘世現氏は、当初、ストックホルム市庁舎の建物をイメージしていた。
近棲するライト設計の旧帝国ホテルとの調和を念頭に置いたものと推測される。
しかし、村野は帝国ホテルが維持面・機能面で限界に来ていることを社長に説き、
今後、百年の使用に耐えつつ、品位と風格を備えた建物とするため、
どのような材料が適当であるかを入念に検討した。
当時はコンクリート打ち放しといった実用性重視の建築が隆盛を極めており、
坪当たり約40万円という石張の豪華な建築に対し、世間のみならず
若い建築家などからも批判の声が上がった。
しかし、村野は“百年の寿命”と建築目的の“表現”という旗幟を鮮明にして、
いささかも動じることがなかった。」
『都市の記憶』より抜粋。
次々とビルが解体される昨今、
日本の建築は100年もたないのだろうかと考えていたので、
村野藤吾の“百年の寿命”は明解な答えを聞いたような気がしました。
写真左側にはDNタワー(旧第一生命館)、三信ビルが見える。
日本生命日比谷ビルの右隣は現帝国ホテル。
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