パシフィックホテル東京
一度は行ってみたいと思っていた、ホテルパシフィックホテル東京が
2010年9月30日に閉館してしまうと聞いて、泊まってきました。
品川駅前から見たホテルパシフィック東京。
壁のようにそびえたっています。
ホテルパシフィック東京
開業:1971年7月27日
設計:坂倉建築研究所
高さ:112.5m
地上30階、塔屋3階、地下3階。945室。
1973年、BCS賞受賞。
2010年9月30日、営業停止。
このまま歩いていくと3階のロビーではなく、ショッピングモールなどのある2階にでます。
シングルだと1万円くらいからありましたが、ちょっとだけ贅沢して、
高層階、ダブル、1万7000円のお部屋。
25平米ということで、それほど広いわけでもない。
バスルームはこんな感じ。
洗顔フォームから乳液までお泊りセットがおいてありました。
ホテルパシフィック東京に来たかったのは『ミカドの肖像』を読んだから。
品川プリンスは旧華族毛利邸跡地、高輪プリンスが竹田宮邸跡地、
新高輪プリンスが北白川宮邸跡地、
ホテルパシフィック東京は東久邇宮邸跡地。
西武グループと京浜急行、旧皇室、
品川駅前の土地をめぐる争奪戦が描かれています。
3階の日本庭園。思ってたほど広くなく、
基本的に『ピコロモンド アット・ザ・ガーデン』など、ホテル内のカフェから
眺めるためのお庭なので、フラフラ歩いていたのは私くらい。
カフェの人の迷惑になりそうなので、そうそうに立ち去りました。
2階にある『セラーバー エルベンセドール』の入口。
店内は「スペインの古城をイメージ」ということで、入口もRPGっぽい。
1971年の開業以来、一度も改装されなかったそうです。
裏側の小道からプールがちょっとだけ見えました。
ガーテンプール『フォンターナ』は夏季だけの営業ですが、
2010年は閉館間近のためか、オープンしませんでした。
階段があったので、登ってみたが、
頂上にも何もなし。たんなる小高い丘でした。
「高輪森の公園」の謎は、その夜読み返した
『ミカドの肖像』に書いてありました。
「もう限界というぐらい出した。それでも、一万一千余坪の東久邇邸と
交換するには足りないんです。七千五百余坪分にしかならなかった。
あとの三千五百余坪についてはあきらめたんです。
ホテルの後ろの、小山になっている部分です。
新高輪プリンスホテルとこのホテルパシフィックとの間のところに
税務署があるでしょ。あれですよ。さしがに大蔵省ですねえ。
ホテルとホテルの間のところを有効に使って
税務署建てちゃうんですから。ここは港区ですよ、それなのに、
ここが空いたからって品川税務署つくっちゃうんですからねえ」
(『ミカドの肖像』169ページ)
ウィング高輪からホテルパシフィックへは横断歩道を渡っていける。
ここが品川、高輪、新高輪など、ホテルに囲まれた場所だとわかる。
窓からの景色。
目の前は新高輪プリンス。高輪の森をはさんで、
ガーデンプールと日本庭園が見える。
左側はザ・プリンスさくらタワー東京。
その向こう、左端に見える洋館が貴賓館。
帰りに高輪プリンスホテルの貴賓館によってみました。元竹田宮邸。
何か、ウェディングドレスの撮影をしていました。
「954室のホテルパシフィックと418室の高輪プリンスホテルが相次いで
完成したのは、昭和46年のことであった。
ホテルパシフィックは、高輪のプリンスホテル群にとって
“頂門の一針”としてそびえている。
しかし、驚異的な低コストで皇族の土地を入手した西武グループに対し、
コーポレイテッド・アイデンティティを守るために京浜急行の払った犠牲は
あまりにも大きかった。京浜急行の悲願は実ったが、
彼らは払った犠牲の大きさに見合った巨大な建物をつくった。
その向こう側にあるプリンスホテルを駅から見えないようにしてしまった。
その経緯を知ってから、あのホテルを眺めると、
情念が塗り込められた巨大な石像のようにも視えてくる。」
(『ミカドの肖像』170ページ)